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秦きょうこ
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非公開
自己紹介:
語り部。作家。
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。

いろいろのお問い合わせは、こちらまで。
上映会のご希望なども、お気軽にどうぞ。

musubino.huyuru@gmail.com
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○熊谷守一さんの絵と名まえと生き方がすきだ。
数年前に埼玉の美術館でみて、フアンになった。

わたしと100歳ちがい。
わたしの生まれる3年前にこの世を去ってる。
そう、でもきっとまだどっかに生きてるよ、
仙人だもん。

と、
それ以来、勝手にこの世のあちこちに、
彼の気配をかんじとってきた。

クロアゲハがゆらりと現れたり、
桜文鳥が口をぱくりとあけたり、
蟻んこが光るように働いてたり、
あじさいが虹の玉になってたり、
山椿がぽたぽたと落花したり、

なにか、そういう瞬間。

「あ、いまクマガイさん居た。」

っておもう。
そう、おもってきた。


○滑稽なくらい素直に生きる、小さきものたち。
彼らの息づかい、心臓の鼓動さえ、
聴こえてきそうな元気な絵。

きょう、北九州市立美術館の分館へいって、
ひさしぶりに彼の絵のまえに立ったら、
いちいち笑いがこみあげてきて困った。

この人、よほどだな。
よほど好きなんだ。
いのちが。生きているということが。

クマガイさんの描く生きものたちは、
元気だ。
おどってる。
いのちのままに懸命。
でも、みんな不器用。
それがいい。
それによって、愛が倍増する。

世界との摩擦音がきこえる。
全身で世界に引っかかってる。
ごつごつと、ぼってりと。
そしてこすれる度、あざやかに発色する。

いいなぁ、あかるい音楽だ。
クマガイさんの絵をずらりずらりと広げてったら、
祝祭音がこころにみちた。

そう、でもそうだね。
それをささえてるのは、
つよい死だろう。
愛し子たちの、死。
また、死。

そう、でもだからだ。
生。また、生。
つよい生、ふとい生。
一瞬の、
けれどもわっと鮮烈な、
むねにぐっと痛いような。

世界と一対一で描かれた絵。
かつてすべての絵の前に、
クマガイさんがいたんだね。
いまそこに、私は立ってる。
私もまた一対一で。
世界と、クマガイさんと、むきあってる。
ぱちぱちと、火花が散って、
きれいだった。


○いのちには、
いのちをもって、
応ずること。


○小林秀雄の講演を、
夜通しきいてる。
おかげで寝不足だ。

深夜だからか、
感極まってなみだすること数回。

高校生のとき『平家物語』で惚れて以来、
長い片思いをつづけている。
いっときはストーカーだったな。

あ、この話はまたの機会に。


○回転焼きをたべる。
黒あん、白あん、芋あん。
各1コ、¥70。
実家の近所の老舗まんじゅう屋にて。

こんどは鯛焼きにしよう。


○わけあって、facebookを始める。
けれど「始める」って、なにすることなのか、
全然わかっていない。
とりあえず登録。今のところそれだけ。


○ひさしぶりに本をいくつか注文。
・若松英輔『神秘の夜の旅』
・幸田文『ちぎれ雲』
・宮本常一『宮本常一著作集1』
・南方熊楠『南方熊楠コレクション』1-5
など。


○ゆうべのお月さんとお星さんは、
きれいやったわぁ。
ごちゃごちゃしたこの町の空には、
もったいないようやった。


○「月と裸婦」。
クマガイさんの重要なモチーフと解説されていた。
わかる、わかる。
わたしも、月と女をよく描いてしまう。
なみだこぼして舞う女。
手が、ちぎれるくらい、月にのばしてんの。


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○こんばんはー。
ふゆる座、ほん年初しごと。
さくじつ佐賀県唐津市へ行ってまいりました。

あいにくの空模様でございましたが、
おかげさまでとてもよい会になりました。
おいでくださったみなさま、
関係者のみなさま、
まことにありがとうございました。


○What is "げすとすぴーかー" ?

事前にふかくかんがえないのは、
ほんとうにわるい癖だ。

「自己紹介をしてください。30分くらい。」

と、云われて、白髪になるかとおもった。
が、すぐに「あ、わたしお喋りな人やった。」ときづき、
平静になる。だいじょうぶ。

上映のあと、
『茂庭のしなだ織』と
「女性性」、「女性未来学」ということとを、
どんな視点がつないでゆくだろう、
わたしを通して何が語りだすだろう、
と、たのしみに待った。

みんなのあたたかい眼ざしにつつまれて、
記憶の底からたいせつなことばが
ぷわぷわと噴くようによみがえってきて、
わたしはただ、
できるだけていねいに、ていねいに、
つむいでいった。

音ならぬ音。
声ならぬ声。
それを聴きとどけようと、
虚空にすます、耳。
その意志が、
未生のことばを産ましむるのだね。

みんなはさながらお産婆さんで、
おかげで母子ともに健康に、
会を終えることができた。
ほんとうにありがたかった。



○「女性性」とは、

一つ、言語化、数値化できないもの。

すなわち、値段がつけられないもの。
商品にならないもの。
つねに社会的な価値の外にあって、
おかげで、結果的に「無価値」なものとして、
ないがしろにされてしまいやすいもの。
実際に、そうされてきたもの。

けれどもほんとうは、
この世の背後で、力を、いのちを、
産みつづけているもの。

宇宙そのもの。
大きすぎてみえないもの。
つつまれているゆえに、
すべてを見渡せないもの。

数字によっても、
言語によっても、
永遠にきりとることのできないもの。

ただ、直観によってのみ、
それを全的に知りうるもの。


また、一つ。
それは、むすぶもの。
個々別々のすきまを、
ひたひたとひたすもの。

断絶を縫って流れ、
すべてをつないでゆくもの。

切り裂かれても、
切り裂かれても、
くりかえしひとつになろうとする、
全きものに還ろうとする、
ちょっとばけものじみたもの。

愛。
その力。
人類共通の、意志。


○また、一つ。
壮大であるけれど、
とるにたらぬものとして、
この世に現れるもの。

たとえば、絵本として。
たとえば、キノコとして。
たとえば、水たまりとして。
たとえば、お饅頭をふかす湯気として。
たとえば、揺れるブランコとして。
たとえば、板塀の節穴として。
たとえば、巨木の洞として。
たとえば、朽ちかけた橋として。
たとえば、風にそよぐ髪として。
たとえば、海底にゆれる海草として。
たとえば、一この廃屋として。
たとえば、夏の幽霊話として。
たとえば、沈む夕日として。
たとえば、老翁の後姿として。
たとえば、老婆の手の熱として。

たとえば、たとえば、
切りなくつづく、
己のいのちを、
ふるわし、おこす、
数かぎりない、なにかとして。
その集積として。


また、一つ。
森羅万象。
アニミズムとも、
密接な関係にあるもの。
唯物論とも、
密接な関係にあるもの。

天地有情。
この世をそう感じる、
感性そのもの。


○また、一つ。
懐かしいもの。
ふるさとを感じるもの。
心休まるもの。
あたたかいもの。

ふかい眠り。
あるいは死もまた。
死者もまた。


また、一つ。
円いもの。
流れるもの。
止まず変わりつづけるもの。
おぼろなもの。
あえかなもの。
太陽より、月。
日光より、月光。
皮膜のむこうにぼんやりと透ける、
すこしこわくさえあるもの。

「女性性」とは、なんだろう。



○3冊の本を、持ってくるよう仰せがあって。

・斉藤たま『野あそび』
・幸田文『父・こんなこと』
・中沢新一『女は存在しない』

を持っていった。

それぞれ「女性性」という観点から、
すこしずつご紹介させていただいた。

大すきな本たちです。



○書ききれないので、
いちど筆をおきます。

メモ書きみたよで、
ごめんなさい。
ちょっとひどいな、と、
読みかえして青くなったのですが。

しかし、あつかましく、
そのまま投稿。

ご勘弁くださいまし。

○ふゆる座、しごと初め。いよいよ明日です。


++第一回 からつ女性未来学講座++

「民族文化映像研究所作品『茂庭のしなだ織』上映&語らいの会」

とき 2012年1月22日(日)
じかん 14:00~16:00
ばしょ 唐津市民交流プラザ多目的ホール
     (JR唐津駅から徒歩8分)

*受講は無料です。


民族文化映像研究所作品『茂庭のしなだ織』。
福島県福島市飯坂町茂庭、1991年の映像。31分。

茂庭の人々はシナノキをマダとよぶ。
このマダの繊維で、シナダとよばれる布を織るのですが、
これがほんとう見とれる技術なのです。
おばあちゃんの手指のうごき、
大胆でやわらかくてこまやかで、
あんまりなので、泣けてきます。

植物の秘めたうつくしさを、
おばあちゃんの手がぐんぐんひらいて、あらわにしてゆく。

木の命と人の命と。
からみあって奏であって、
一まいの布を織ってゆくのは、
なんだか艶めかしくさえあって、
ぽーっとしてしまうのです。

植物と女性。
は、「お似合い」だなぁ。

と、思わずにいられない映像です。

もしもお時間ございましたら、
みなさまどうぞ唐津までお運びくださいませ。

よろしくお願いいたします。
○きのう薄暗い床で、
15年くらい前に一じきを共にすごした猫のことをおもいだしていた。

あいつは夜になるとやってきてたな。
ベランダの窓のとこにぴたりとはりついて。
口を天にむけて、みょうな唄ごえあげて、
「入れてーおくれー。
おくれーよ、おくれー。よ。」
という具合に。

年のほどはわかんなかったけど、
おじいさんぽかった、よぼよぼとして、
機嫌わるくて。さびしそうで。

毛並みもきたなかった。
ばさばさしてて、なでると怒った。
でも立ち去ることはなかった。

魚の骨をすごい顔して食べてた。
いかにも旨そうだった。
その隙になでたら、
やっぱり怒った。

こんなに機嫌のわるい生き物はじめてだった。
こんなに怒られるんもはじめてだった。

でも、嫌いなんやないらしい、わたしの事。
毎日くるもん、おなかすいてない時も。

青みがかった灰色の目。ロシヤの目。
朝とよる。
ひなたとひかげ。
ふとったり、ほそったり、
ほそったり、ふとったり。
三日月、満月。
満月、三日月。
ああ、たのしい。
おじいさんと居ると、
たいくつなんかないな。
一瞬だって、ない。
たのしい。

わたしが声たててわらうと、
おじいさん、嫌そうに見た。

台風がきた。
大型の台風だった。

その日わたしは外泊をしてて、
家を空けてた。
おじいさんのご飯は置いといたけど、
ともかく、おじいさんを嵐の中に、
あのひどい雨風の中に、
そのまっ黒な闇の中に、
ひとりぼっちにしちゃったんだ。

台風一過。
よく朝うそみたいに空ははれて、
風は凪いで、おだやか、おだやか。

おじいさん大丈夫だったか、
と急いで帰ったへやのベランダに、
はたしておじいさんは、座っていた。

わたしを見るなりびっくりするような大声あげた。
それどころか、
ギャァァとわめきながら、
こっちへ突貫してきたのだ。
わたしはまともに飛びかかられて、頭つきをうけて、
うしろにどすんと尻もちついた。

どうしたの、おじいさん?
ごめんごめん、ほってってごめん。
こわかったよなぁ。ごめんな。
けがないか?

おじいさんは私のお腹にはいりこんで、
なおもごつんごつんと頭をぶっつけてくる。
ギャアギャアと泣きながら、
涙さえこぼしそうな目で、
うらみがましさいっぱいの目で。

おじいさんはそうしてしばらく暴れて、
さすがに疲れちゃったのか、
そのまま私のお腹でねむってしまった。
こんなことしたの、
生まれて初めてだったのかもしれない。

その後おじいさんはショックからか単なる夏ばてからか、
ともかく食欲を落としちゃって、
がりがりのやせっぽちになってしまった。
私もしんぱいして色々気をつかってみたけど、
なぁに、野良のつよさだね、
秋の近づくころにはまた食欲をとりもどして。
魚の骨をすごい顔して食べてたよ。

おじいさんが亡くなってずいぶん経ったな。
大すきだった。はじめて深くかかわる猫だった。

薄暗いよるの床、耳の底に、
あの懐かしい妙な唄ごえがきこえてきて、
私をしずかになぐさめてくれた。



○蛙にさわりたい、いや、さわられたい。
あのぴと、ぴととした指さき、てのひらで、
私の手を歩いてはくれまいか。
それが蛙とわたしなりの握手ということで。
どうかな、だめかな。
あ、あいては雨蛙ね、ちなみに断っとくと。


ひとりきりの暗闇は、
ばかみたいな夢想であっというまにいっぱいになる。

はやくおうちに、帰りたい。


○看護婦さんが仏にみえる。
天使じゃなくて、あれは仏だ。
仏さんのぷっくり白い手と慈光と。
あぁ、ありがたやー。









○めがあうこと。みつめあうこと。
のふしぎを、考えつづけた時期があった。
卒業論文の、さいごのテーマだった。

眼医者さんがめをのぞきこむのと、ちがう。
めは物じゃなくて、その人じしん、私じしん。

私はわたしの全てをかけて、その人のほうを向いている。
あいてもまた、そう。じぃっと、ひたすらに。
めをあわせて、むきあっている。

からだってすごいのだ。
なにげないようでいて、
こんなにも断ち切られたわたしたちを、
つないで、つないで、
いつも、
そんなふうに、おのずから、動いてくれる。

私とそとをむすぼうとして、
私をそとにひらこうとして、
いつも、いつも、そういうふうに。

すてられた切れっぱじみたいなわたしを。
業火のためにくず炭みたよになったわたしを。
もうにどと光熱をはっすることのないわたしを。

それでも、
それでも、
つなぎとめてくれる。

からだがある、
もうそれだけで。
それだけで、じゅうぶん。
わたしは、この世に、
だきとられている。
いやおうなしに。

どんなに閉じても、
となりに木が居て。
ぶちんと切れて凶暴と化しても、
そばでとかげがじっとみていて。

風がなでたり、
雨が打ったり、はだを伝い、流れてったり。

鳥の瞳に映っていたり、
葉っぱが胸に落ちてきたり。

背中で幹がじゃりじゃりいったり、
めめずが前を横切ってったり。

細かい理解の有無なんて、
このさい、どうでもいいじゃないって。
今を、ともに、生きている、
この世はそれ以上でもそれ以下でもないんだって。

くりかえし、くりかえし、
せかいに教え諭されてきた。

そのことが、
当時ほんとにすくいだった。

発達心理学の浜田寿美男さんが、
そのことを、
「身体の共同性」とか
「身体の相補性」とか
のことばでとらえてくださっていて、
わたしはそれにすがりつくようにして生きていた。

からだはすごいってことと、
からだはすごいってことをみつめる眼ざしは人をすくうってこととを、
そのとき学んだ。



○めがあうこと。みつめあうこと。
でも、
それがにらめっこみたいになるときは、さびしい。

応じあうからだ。
それだけでじゅうぶんって、
思ってるけれど。

そうも言ってられないことも多々ある。
生きてると。

みつめあってるのに、
それが、たがいの緊迫のため、
防御のため、距離をたもつためだったりすることもあって。

そんなときは、
どんだけみつめあってたって、
かなしい。さびしい。
たがいに我を張ってるだけで、
すなおなものがふたりをつらぬいて流れることなんてない。

もちろん、
さがしているのだけど。
かくされた抜け道はないか。
こんがらがった知恵の輪が、
どうかしたらするりととけないか。

それでも刻一刻と、
たがいのからだの輪郭がくっきりとしてきて、
あぁ、なんて別個なんだろうと落胆してくる。
そしてその落胆さえ、内にとじこめる。
ぶつけるだけのすなおさも、もうのこっていなくて。
底の底まで、まがりきっている。

そういうのは、ほんとうに、つかれることだ。
生きるじかんの中で、できるだけよした方がいいこと。

いつも反省する。
でも、起こってしまうな、まだまだだな。


○めがあうこと。みつめあうこと。
だれかと、ふとさし向かいになること。
あいかわらず私は、
それをとってもこわいとおもっている。
やっかいともおもっている。

卒業論文のときと、それはひとつもかわらない。

でも、わたしをこの世にひきとどめてくれるのは、
まちがいなくそのこと、からだの、応じあう力。

ほんとにドキドキする、この世に生きてるってことは。
だれかに私を、見、とめられるということは。
私もまた、だれかを見、とめるということは。

出会うことのなかには、
ふかい悲しみも、断絶も、排除も、否定も、
怒りも、拒絶も、侵害も、暴力も、あるでしょう。

それでも、やめない、
やめることができない。
このからだのある以上、
わたしたちは。
それらすべてを引き受けなけりゃいけない。
きれい事なんかいらない。
正論だけならうそだ。

そのままに。
私たちのままに。

ただ、
この世と目をあわせて、
生きていたい。



○なんだか、今、すこし暗いのか。
暗いような気もする、そういう時もあるよ。

いま、おどろいたことに入院をしていて、
いろいろの検査にたびたびしょっぴかれている。

あと一日のしんぼうだ。

結果がこわいんじゃなくて、
結果にこころが歪むんじゃないかって、
それがとにかく、こわい。

たとえわずかな歪みでも、
わたしはじぶんに許したくない。

このひとには、貴くあってほしいのだ。
さいごまですっくりと、
天空へ吹きぬけるこころで。

そのことだけは、このひとに、
誓っててあげたい。

と、ひとり熱くなって、
もくもくとお昼ごはんをたべていたら、
となりに居たおじいちゃんが、
歯のすっかり抜けた口でファファファとわらったから、
その力みがすべてゆるんじまった。よ。

ファファファ。

やわらかくこもる、
いい声だった。

こころに遺るなぁ。




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