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秦きょうこ
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非公開
自己紹介:
語り部。作家。
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。

いろいろのお問い合わせは、こちらまで。
上映会のご希望なども、お気軽にどうぞ。

musubino.huyuru@gmail.com
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「ただ、いま。」

わたしたちは安心できる場所へかえってきたときに、
そうやって、じぶんの「ただ、いま」を確かめる。

「ただ、いま。」と声にする一瞬に、
そとの世界で淡くなったじぶん、
ぶれてとらえられなくなったじぶん、
ふみつけられたりひっかかれたりしてすっかり心弱りしたじぶん、
が、めきめきと色と輪郭をとりもどし、
くっきりと見えるようになる気がする。

わたしはこの一しゅうかん、
いくたびも「ただ、いま。」をいうことができました。

あいかわらずのすばらしい企み事で、
元気をくださったみなさんのお蔭です。

ありがとうございます。


11月2日には、「和菓子+手しごと 和草」さんへゆき、
木綿布つなぎの作品を納品させていただきました。
はぎれ達が生きますようにと願いをこめて。

11月4日には、旦過市場の大學堂へゆき、
冨田貴史さんをお招きしての「続・原子力茶屋」にて、
「ふゆる菓子店」をひらきました。
市場のおじちゃん、おばちゃんたちの温かさのうちに、
またたくまに売り切れてびっくりしました。
みなさん、ありがとう。

また、ほんのわずかですが、
蒸し饅頭と蒸しぱんのさし入れを。
みなさんに「おいしい。」という言葉をいただくと、
ほっとして、ようやくじんわり、自分でつくれたことを幸福に思える。
食べてもらうって、ほんとにうれしい。

11月5日には、庶民時代裂研究会の代表を25年間つとめておられた、堀切辰一さんのところへ。
お借りしていたご著書『布のいのち』を、返却しに。

堀切さんとこに居るあいだ、わたしはいつもぽたぽた泣いている。
「あんたはいつも、そんなに無口なの?」
と、堀切さんに聞かれるくらい、ことばが出なくなるんだ。
そのかわりに、ひたすら、ぽたぽた落としている。

わたしは普段からすぐに泣くひとではあるんだけれど、
それにしたって、堀切さんの前では、泣きすぎだ。

じぶんでも、変におもっている。
けれども、どうしようもない。
なんなのだろう、この涙は。
じぶんのどこから、出てくるんだろう。

ううん、ちがう。
これは、「じぶん」じゃない。
「じぶん」の底をつきぬけた、もっと深いとこに源泉がある。
わたしは汲み上げてるだけで、
たぶん、この水は、相当にふかい。

C.G.ユングさんが、「集合的無意識」って呼ぶところのもの。
児童の言語生態研究会の方々、上原輝男先生が、「情動」やら「イマジネーション」って呼ぶところのもの。

意味の手まえ、言語の手まえで、
ひかり、震えているもの。
鳴っているもの。
流れているもの。

それだ。

堀切さんの語りのひとつひとつが、
それを呼び覚ましてしまう。

堀切さんのやさしさは、烈しい。
烈しく、烈しく、やさしいんだ。
だから、その心がつかんだ、
貧しいひとびと、虐げられたひとびとの心に等しい襤褸ぼろの布たち、
それをめぐる語りには、わたしたちのちいさな自我を壊す力がある。
それはしごく当然のことだ。

集められた襤褸布たちと、その持ち主たちの生の軌跡。

ことし87歳をむかえられる堀切さんのからだを通して、
それが、ここに噴きあげるようにして、よみがえってくる。

わたしは言葉を亡くして、情動そのものとなって泣いて。
人への信頼をつよくつよくしていくんだ。

「魂の尊厳なんだ。」

と、堀切さんは、おっしゃった。

この襤褸布たちにのうえに現れて、
わたしたちの胸をつかんで離さないものの正体は、
その布に宿る、持ち主たちの「魂の尊厳なんだ。」と。

ほんとうにそうだと思う。
尊厳。
気高さ。
誇り高さ。
人間の精神の、高い高い姿。
それが、そこに、そのままに、在る。

だから、堀切さんは、襤褸を「ぼろ」とは読まない。
「らんる」と呼んで、そこに生を見ている。

そう、襤褸布は生きものだ。
ぺらぺらに生きる不安なわたしたちに、
人間のほんとの生命の在り処をおしえてくれる。

今日、「3.11と原発事故とわたし」のことを、
堀切さんにお話した。
「くるしい。」と、それだけお話した。
そうしたら、堀切さんも、目のあたりを赤く熱くされて、
「わたしだって、何にもことばがでないんですよ。」と、おっしゃった。
東北の地を、庶民の野良着をもとめて何十年も歩かれていた堀切さんだ。
東北の人びとのやさしさや強さを、こころから敬い、愛してきた堀切さんだ。
どれほどの想いが、いまこの人の胸にはつまっているのだろう。
わたしの経験からは、はかりしれない。

ただ、とにかく、
この時代に堀切さんから学ぶことは、おおきい。

またきっと、伺います。
そして、ここで、ご報告させていただきますね。
いつかみなさんに、お引き合わせできますように。


堀切さんをたずねた後、八幡東区の西本町にある「樋口商店」へゆき、
北海道のかぼちゃと長野県の紅玉を買いました。

ここは60年の老舗で、ご主人は八幡の生き字引のような方です。
お店を建てたときの、まだ八幡が焼け野が原だったころの話などをうかがって、
目の前の風景に重ねながら、てくてくと歩いて帰りました。

************
まだまだご報告したいことがありますが、
またにいたしますね。

明日は、八つ橋蒸しぱんと紅玉ジャムをつくります。




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「民族文化映像研究所」の通信に、

「ふゆる座」の上映会のレポートを掲載していただきました。

すべての上映会についてレポートをしたかったのですが、

誌面のつごうで、ひとつの会のみとりあげることになりました。

が、

こちらで書かせていただいたことは、すべてに通じていることです。

ひとつ、ひとつ、ほんとうに豊かな時間でした。

あらためて、ご協力くださったみなさま、観にいらしてくれたみなさまに、

感謝の辞をのべたいとおもいます。

どうもありがとうございました!


せっかくですので、「民映研通信」より、

わたしの文章のみ、こちらに転載させていただきますね。

お読みくださるとうれしいです。


*********************************
 
○はじめに―「ふゆる座」のこと。

はじめまして。ふゆる座の代表をしております、秦きょうこと申します。

「ふゆる座」とは、一ことで申しまして、先人たちの思いがあつまり宿る場処、その思いが形とるための小さな発足地であります。

「ふゆ」、「ふる」という古の音、生命やたましいの増殖や甦りの儀礼をいみするこの音を名とし、祖々より伝う心、ちえに触れること、それをみずからの内に回復してゆくことを志して、活動をしております。

それはまた、この身体と、その拠ってたつ風土とを、しっかりとむすんでゆこうというこころみでもあります。

そしてその中心に、わたしたちは、「民族文化映像研究所」作品の上映会をおいて活動しております。


 
○上映会のご報告。

わたしは、かねてより「民族文化映像研究所」の作品をみるのが大変に好きでした。

東京にくらした時分には、フィルムに記憶されているあの世界に会いたくて、研究所へ足しげく通ったものです。

そのときはただそのままにあればよかったのですが、上映会をひらくためには、そこからもうひとつ思考の根をおろさなければなりません。

なぜ、みなと見たいのか。そこに何が生まれることを希うのか――。

 「民族文化映像研究所」の方々が録りつづけてきた、農山漁村に暮らす人々のいとなみ。

それは、北九州の町にそだった私には、まったく未知のもの、未経験のものばかりです。

そんなわたしが、あいかわらず町に住みながら、おなじように暮らす人びととともに、記録フィルムを見る。

そこに、いったいどんな創造の可能性があるのだろう。

記録を、そこに映る人びとの生きる姿を、ただ一時の気分として消費するのではなくて。

そこからわたしは、何をはじめることができるのだろう。

そんな問いにすら明瞭なこたえをもたない曖昧なわたしに、けれども多くの方々が力をくださり、この夏いくつかの上映会が実現いたしました。

そのなかで、この問いにたいする一つのこたえともいえるちいさなやりとりがありました。


 2011年8月6日(土)、福岡市東区箱崎にある「箱崎水族舘喫茶室」にて、『奥茂庭―摺上川の流れとともに』を上映させていただいたときのこと。

上映後にトークセッションをもち、わたしたちはさまざまに話題をひろげてお話をしました。

そして最後に会場の方にことばを求めました際、いらしていた盲目の方がこのようなことを仰ってくださいました。

「私はみなさんのように見えませんし、むずかしい話もわからないのですが、ただ水の音がきれいだなぁとおもってみておりました。そして、幼いころのお祭りのことを、懐かしく思いだしておりました。」

わたしはそのことばにハッとしました。

わたしたち目のみえる者が、映像をみつめていた間、きっとその方の耳には、ただ清らかな水の流れが聴こえていたにちがいない。

人びとの立ち働く音も、あそぶ声も、草木のざわめきも、生きものたちの息づかいも、すべてはその絶え間なくつづくうつくしい音の内にあるのを聞かれていたにちがいない。

「摺上川の流れとともに」。この副題の指していることを、その方がそのままにつかんで、わたしに教えてくださいました。

また、時代によって断たれたもの、忘れられていたものが、フィルムを通してひとりの胸の内にふたたび息をふきかえすということ。

その記憶をみなでうけとり、追憶をともにたどり、遡ってゆくこと。

大切なものが、個をつらぬいてよみがえり、人をつよく結んでゆく。

わたしは上映会を通して、それをこそ多くの方々とともにしてゆきたいのだと、気づかされたのでした。

「民族文化映像研究所」の映像記録は、それをこころみるのに最良のものです。

わたしは今あらためて貴重に思い、未来へのバトンとして大事に受けとめています。



 
○おしまいに

「ふゆる座」の活動は、まだほんとうに小さく、たよりのないものです。

ご興味をもってくださる方がございましたら、ぜひお声をかけてください。

たくさんの方々に、手をとって教えていただきながら、あちこちで、いろんな色とかたちで、身を、実を、むすんでゆけたらと思っております。

どうぞよろしくお願いいたします。

          「ふゆる座」代表 秦きょうこ


 
+「ふゆる座」その他のカタチ+

・「玄米ムスビの会」+「ふゆる菓子店」
(土地よりいただいたものを丁寧に料り、食べることを通して。)

・「生活の古典」を伝える「もの語り」+叢書の製作
(折口信夫の書物をひもときながら、ことばと語りを通して。)

Mail: musubino.huyuru@gmail.com

Blog: http://huyuru.blog.shinobi.jp/


*********************************

さあ、つぎの上映会にむけて、

歩いてゆかなくちゃ。



みなさまどうぞ、よろしくお願いいたします。

饅頭修行、つづいております。

まだまだ、まだまだです。

○酒まんじゅう
○上用まんじゅう
○栗まんじゅう
○胡桃まんじゅう
○南瓜まんじゅう
○蕎麦まんじゅう
○黒糖まんじゅう
○柚子まんじゅう

すこしずつ上手になって、

文庫の茶話会にお出しできるようにと思っています。


餡子は、小豆と大手亡豆で、つぶあん、こしあん、ともに作っています。

こしあんと言っても、

皮つきのまますりつぶしてゆくから、正しくは「全粒餡」ですね。

皮を漉してはおりません。

でもとてもなめらかですよ。


もうもうと上がる湯気のなかに、

彼女らのふくよかな姿がみえると、

わぁぁとうれしくなる。

(和菓子はとても女性的だとおもふ。)

このほんわか美しいひとたち。

はかなさやしとやかさ、

清らかさややわらかさ。

そんなものを、湯気の中で、しずかに守っている。


お八つは文化だから。

彼女たちをつくりつづけることで、

文字にも数字にも変換できない何か大事なものに、

せまってゆきたいと思う。



精進します。






「無機世界のうつくしさよ。

永劫沈黙のいさぎよさよ。

元素の燃える大火団と、

燃えつくした死火山塊と、

黒闇のがらんどうと、

ただ力学的に動くのみなる宇宙の美よ。」

*

「あなたの前にあらゆる濃淡の水墨を流して、

途方もなく長大な絵巻物をあらわしたい。

*

「今朝ね、じぶんの正体を夢に知ったのよ。

わたしは一個のつむじ風だった。」

*

「鎮めたい。弔いたい。

生涯をかけて。」

*

「空、あおい。

青い、青い。

青青、しずか。

青、水明なる空。」

うまれるまえからずっとみていたけしきを、

いまも おなかにだいて いきている。


*********************************


わたくし事ですが、

9月のおわりに、祖母がたおれて、

生活が一変してしまっていました。

いそがしくなった、というのではなくて、

生きる、生きているということの感覚がこわれて、

混沌のなかにおちてしまい、

知人や友人、わたしの外の世界に、

ことばの橋をかけることができなくなっていました。


ようやくひと月。

すこしずつ、みなへ、

話しかけるためのことばを、

とりもどしてゆこう。

と、おもっています。


このひと月の間に、

わたしに話しかけてくださった方々、

とてもすてきなお誘いをくださった方々、

お返事のこえ、出なくてごめんなさい。

お話したいことが山づみにあるのに、

すべてのどもとでつまって、

一つも声にならなかった。


ことばは生まれて、

のどもとまで上がって、

でも、そこまでゆくと、おなかの方へ落ちてゆく。

闇にかえってゆく。

いまも、そんなことをくりかえしていて。

いつになったら、またみなとお話できるかなと、

すこし心配もあるのですが。


それでも、もうちょっと、という予感があるので、

なんだか半端な心内でもうしわけないと思いつつ、

あんまり長くご心配をおかけするよりはと筆をとりました。


いろいろの事、すこしずつ再始動させてまいります。

年末年始にかけて予定しているいくつかの企画についても、

またこちらにご案内させていただこうと思います。


「ふゆる座」の活動。

どうぞみなさま、お見守りください。

何とぞよろしくお願いいたします。


*********************************


うまれるまえからずっとみていたけしきを、

いまも おなかにだいて いきている。


そのけしきは だれもおなじで、

そこにゆけば みなに あえる。


はなれてくらす ひとにも。

やまいのとこにある ひとにも。

ひどいわかれ、かなしいわかれをした ひとにも。

もうこのよにはいない いとしい ひとにも。


もうにどと めに うつることが ないとしても。

かつていちども めに うつったことが ないとしても。

そこにゆけば みなに あえる。


うまれるまえからずっとみていたけしきを

きょうも おなかにだいて いきている。


あすのあさ めがさめても

そのけしきが やっぱりおなかに。

そうやって いきていこう。


みなと ともに。

みなと とわに。







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