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# プロフィール
HN:
秦きょうこ
性別:
非公開
自己紹介:
語り部。作家。
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。
いろいろのお問い合わせは、こちらまで。
上映会のご希望なども、お気軽にどうぞ。
musubino.huyuru@gmail.com
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。
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○春ですね。
畑の冬野菜たちがおわろうとしています。
水菜、小松菜、ほうれん草、
春菊、ター菜、青梗菜に、
かぶ、大根。
こくこくと春の姿へかわってゆく彼らのからだを、
まい年おどろきながらながめている。
手折る手ごたえが、まるでかわってゆく。
味も、かわる。
それって、すごいことだ。
人もそうかな、そうだろうな。
○糸島で自然農を営むNPOの仲間が、
帰りしなに渡してくれた一抱えのうつくしい菜花を、
茹でておひたしにする。
なんて鮮やかな色だろう。
植物がひめてる色は、
とてもパンチがつよい。
折口信夫さんは、
あまり野菜を好んで召し上がらなかったそうだが、
この春の菜花だけは別で、
まい食ごとに、どっさりと召し上がったのだそうだ。
そんなことを思いながら、
わたしもどっさりと戴いた。
甘くて、おいしかった。
ありがとう。
○冬のうちにすっかり肥えてしまったから、
すこしすっきりさせていこう。
市販のお菓子を買うことがふえてるから、
もいちど戻していかなくちゃな。
とりあえず、玄米甘酒をつくろう。
豆を炊こう。
○斎藤たま『生ともののけ』
『死ともののけ』
池田晶子『リマーク』
梅原猛『「森の思想」が人類を救う』
中沢新一編『南方熊楠コレクション』全5巻
注文。
○九州の地図を買う。
人のつながりを、マッピングして可視化してゆくのだ。
さぞかし楽しい作業になるだろう。
○サンシュユが満開。
梅は散った。
ふきのとうは、ひらいて、昇った。
木蓮のつぼみは、ふくらんでる。
桜のつぼみも、はちきれそう。
芍薬の葉、ブルーベリーの葉が、わずかに出てきた。
ギボウシの芽が地面を割ってる。
春の庭は、書ききれない。
畑の冬野菜たちがおわろうとしています。
水菜、小松菜、ほうれん草、
春菊、ター菜、青梗菜に、
かぶ、大根。
こくこくと春の姿へかわってゆく彼らのからだを、
まい年おどろきながらながめている。
手折る手ごたえが、まるでかわってゆく。
味も、かわる。
それって、すごいことだ。
人もそうかな、そうだろうな。
○糸島で自然農を営むNPOの仲間が、
帰りしなに渡してくれた一抱えのうつくしい菜花を、
茹でておひたしにする。
なんて鮮やかな色だろう。
植物がひめてる色は、
とてもパンチがつよい。
折口信夫さんは、
あまり野菜を好んで召し上がらなかったそうだが、
この春の菜花だけは別で、
まい食ごとに、どっさりと召し上がったのだそうだ。
そんなことを思いながら、
わたしもどっさりと戴いた。
甘くて、おいしかった。
ありがとう。
○冬のうちにすっかり肥えてしまったから、
すこしすっきりさせていこう。
市販のお菓子を買うことがふえてるから、
もいちど戻していかなくちゃな。
とりあえず、玄米甘酒をつくろう。
豆を炊こう。
○斎藤たま『生ともののけ』
『死ともののけ』
池田晶子『リマーク』
梅原猛『「森の思想」が人類を救う』
中沢新一編『南方熊楠コレクション』全5巻
注文。
○九州の地図を買う。
人のつながりを、マッピングして可視化してゆくのだ。
さぞかし楽しい作業になるだろう。
○サンシュユが満開。
梅は散った。
ふきのとうは、ひらいて、昇った。
木蓮のつぼみは、ふくらんでる。
桜のつぼみも、はちきれそう。
芍薬の葉、ブルーベリーの葉が、わずかに出てきた。
ギボウシの芽が地面を割ってる。
春の庭は、書ききれない。
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○19にち、昼下がり。
ウィンド・ファームにつとめる盟友・竹之内くんの車で、
糸島へむかう。
夕方から、「NPOいとなみ」の設立総会。
もすこししたら、このNPOの具体的な企みについて、
こちらでもご案内させていただきます。
きょうは、とりあえず大雑把に。
・日韓をむすぶ葦船の復活
・森林のための皮剥ぎ間伐
・福島茂庭のしなだ織技術の継承
・日韓交流こども山村留学
・自然農法実践
・東アジアのシャーマニズムツアー
・伊都国の民俗研究
・手仕事と市の復活(「伊都まつり」の開催)
・地域共同体のための新しい学びの場づくり
など、など。
活動は非常に多岐にわたっておりますが、
すでにその多くが、形となり、日々着実にそだっていっております。
たくさんの方々と手をつないでゆくぞー!
○総会のあとは、乗組員のお誕生日会。
みなで一品と一芸を持ち寄って、
とてもおいしく楽しい会になった。
勝負できる一品をもたない私は、
ひよこ豆のローズマリースナックと、
蒸しぱん4種(かぼちゃ、抹茶大納言、桜餅風、八つ橋風)を作った。
一芸は、いつもの、語り。
今回は、「おひなまつりとお彼岸のはなし」。
『折口信夫全集17巻』と、
上原輝男先生の『かぶき十話』に拠りました。
プレゼント用に、
小本『生活の古典叢書8 おひなまつりとお彼岸のはなし』
も作りましたが、
販売用はまだもすこし。
手をくわえます、お待ちください。
ああ、お誕生日会って、いいもんだなぁ。
○20にち、午前中。
「いとなみ畑」と「いとなみ田」の見学、
そして、野遊び。
春分の日ですからねー。
「日の伴」です。
女の物忌み。
折口信夫『死者の書』。
その女主人公・藤原南家郎女さながらに、
みなでのどかな春の野を、
ふわふわとさすらうように歩きました。
酔ったな、春に。
○午後は、「懐庵」へ。
中沢新一×内田樹×森田真生
お三方の鼎談を拝聴しに。
中沢先生と内田先生が一緒にいらっしゃる場に参加できるのは、
つくづく幸運だとおもうけれど、これで5かい目。
中沢先生と内田先生が同い年で、
森田さんと35歳くらい差があるとおもう。
うれしそうにお話される森田さんを、
中沢先生と内田先生が、
やっぱりうれしそうに受けとめていらっしゃる。
その図が、たいへんに温かかった。
今日一番の学びだったとおもう。
○懇親会の折、
内田先生の前に座らせていただいていたら、
なんだかむずむずしてきて、
気がついた時には「先生!」と手をあげてしまっていた。
その「むずむず」っていうのは、
犬がしっぽふるのと同じ。
猫がぐいぐいと体をぶっつけてくるのと同じ。
こどもが用もないのに「おかーさん、おかーさん!」というのと同じ。
…だったので、頭のなかは空っぽ。
で、わっと焦って、学校教育現場での悩みをお話させていただいた。
しどろもどろで怪しい日本語だったのに、
内田先生はいくつかの観点からとても丁寧に応えてくださった。
先生の教育論はいつも拝読しているけれど、
やっぱりこうしてお会いしていただいた言葉は、特別にうれしい。
意味を超えて、そのまま力として心に働くなぁ。
わたし、に賜った言葉なのだ。
と、今はひとりよがりに思っていたいので明かしません、が、
ひとつ、「プロテクト」については、
いま自分がいちばん課題としていることなので、
すこしだけ書きます。
「プロテクト」。要するに、子どもたちを守る、ということ。
何からか。
点数によって格付けしてゆく価値基準から。
それに晒されることから。
この「プロテクト」の心理は、
心ある教師ならば誰しもがもっているはずのもの、とおもう。
まい日、大勢の生きたこどもたちとともに居るのだ。
かわいくないはずがない。たのしみでないはずがない。
ともに居るのが、たのしくないはずがない。
ひとりひとり、まったく異なる、のびゆく未知の生命体なのだ。
ただ、その「プロテクト」の心理は、
現在おおくの学校教育現場では、
表立って機能できないようにさせられてしまっている。
こどもと、学校制度とのあいだ。
こどもと、規定された学力とのあいだ。
…
…
…
そこに居合わせたひとりの少年が、
(彼は高校に失望して中退したんだと教えてくれた。)
「とてもいい先生なんだけれど、
制度に負けてるなっていうのが見えて、
もったいないなと思っていました。
言ってることと、やってることが、ちがう。
はざ間でゆれてるから。」
と語った。
わ、それって私のことじゃないか。
そうだよね、こどもたちは、
そんなのかならず見抜いてる。
そして、
おろおろと揺れずに、
まずはっきりとこどもたちの側に
軸足をおくことのできるおとなを、
待ち望んでいる。
それに応えてゆくためには、
「たたかうこと」だと内田先生がおっしゃった。
こどもたちのために、たたかうことだ、と。
学校という時空に働いている価値。
それは見えないけれど、
いつも圧倒的な力でわたしを支配してくる。
しらずしらず、わたしはその力に冒されて、
教壇でかなしんだり、いらいらしたりしているのだ。
まことに不本意なことだと思う。
くやしいじゃないか。
いったい何のために、教育学をまなんできたんだ。
この力と、たたかうためだろう。
こどもの側に、立つためだろう。
もちろん、何とかふりほどこうと日々もがいてはいるけれど、
心のどっかが、まだ捕まってる。隷属している。
その力から、ひとまず自由になって、
こどもたちと居られたらどんなにいいだろう。
こどもたちは、生きている。
そこには自ずと、おのおのの目覚しい成長が立ちあらわれている。
それに添い、囃し、よろこんでいたい。
制度を野次り、失望しながら、
結局んとこ制度に使われてる教師じゃいやだ。
きちんと、じぶんで、こどもたちの前に立とう。
わたしはまだどっか、覚悟が甘いんだな。
内田先生の仰る「たたかうこと」は、
なにやら派手な大立ち周りのたたかいじゃなくって、
己の内なるたたかいだ。
わたしはこどもと居たい。
ひとりひとり、どんなにすばらしいかってこと、
みなの命が、どんなに誠実なものかってこと、
一緒にみつめて、よろこんでいきたい。
じきに4月。
1年、また気持を新たに、学校にいこう。
内田樹先生、ありがとうございます!
○中沢先生にお会いするのは、
先年の大阪・相愛大学での集中講義「原発と仏教」以来でした。
先生、開口一番、
「ちょっと太ったんじゃない。」
とおっしゃった。
へへ、「ちょっと」じゃないです、先生。
そのあとも、先生はわたしを見るたびに、
「太ったねー。ぱんぱんしてるよ。」としみじみおっしゃる。
可笑しかった。
いまきっと、アンパンマンみたいなんだろうな、私。
こんどお会いする時には、すこししぼんでるようにしよう。
○糸島の地をあるいてると、
地鳴りがきこえる。
それは鼓膜をつうじてきこえる音じゃないんだけれど、
すごい振動なんだ。
この地は、鳴ってる。
来るたび、何だろうこれと思っていて。
でもすこうしずつ、それが可視のものになってきてる。
もっともっと、近づきたい。
ウィンド・ファームにつとめる盟友・竹之内くんの車で、
糸島へむかう。
夕方から、「NPOいとなみ」の設立総会。
もすこししたら、このNPOの具体的な企みについて、
こちらでもご案内させていただきます。
きょうは、とりあえず大雑把に。
・日韓をむすぶ葦船の復活
・森林のための皮剥ぎ間伐
・福島茂庭のしなだ織技術の継承
・日韓交流こども山村留学
・自然農法実践
・東アジアのシャーマニズムツアー
・伊都国の民俗研究
・手仕事と市の復活(「伊都まつり」の開催)
・地域共同体のための新しい学びの場づくり
など、など。
活動は非常に多岐にわたっておりますが、
すでにその多くが、形となり、日々着実にそだっていっております。
たくさんの方々と手をつないでゆくぞー!
○総会のあとは、乗組員のお誕生日会。
みなで一品と一芸を持ち寄って、
とてもおいしく楽しい会になった。
勝負できる一品をもたない私は、
ひよこ豆のローズマリースナックと、
蒸しぱん4種(かぼちゃ、抹茶大納言、桜餅風、八つ橋風)を作った。
一芸は、いつもの、語り。
今回は、「おひなまつりとお彼岸のはなし」。
『折口信夫全集17巻』と、
上原輝男先生の『かぶき十話』に拠りました。
プレゼント用に、
小本『生活の古典叢書8 おひなまつりとお彼岸のはなし』
も作りましたが、
販売用はまだもすこし。
手をくわえます、お待ちください。
ああ、お誕生日会って、いいもんだなぁ。
○20にち、午前中。
「いとなみ畑」と「いとなみ田」の見学、
そして、野遊び。
春分の日ですからねー。
「日の伴」です。
女の物忌み。
折口信夫『死者の書』。
その女主人公・藤原南家郎女さながらに、
みなでのどかな春の野を、
ふわふわとさすらうように歩きました。
酔ったな、春に。
○午後は、「懐庵」へ。
中沢新一×内田樹×森田真生
お三方の鼎談を拝聴しに。
中沢先生と内田先生が一緒にいらっしゃる場に参加できるのは、
つくづく幸運だとおもうけれど、これで5かい目。
中沢先生と内田先生が同い年で、
森田さんと35歳くらい差があるとおもう。
うれしそうにお話される森田さんを、
中沢先生と内田先生が、
やっぱりうれしそうに受けとめていらっしゃる。
その図が、たいへんに温かかった。
今日一番の学びだったとおもう。
○懇親会の折、
内田先生の前に座らせていただいていたら、
なんだかむずむずしてきて、
気がついた時には「先生!」と手をあげてしまっていた。
その「むずむず」っていうのは、
犬がしっぽふるのと同じ。
猫がぐいぐいと体をぶっつけてくるのと同じ。
こどもが用もないのに「おかーさん、おかーさん!」というのと同じ。
…だったので、頭のなかは空っぽ。
で、わっと焦って、学校教育現場での悩みをお話させていただいた。
しどろもどろで怪しい日本語だったのに、
内田先生はいくつかの観点からとても丁寧に応えてくださった。
先生の教育論はいつも拝読しているけれど、
やっぱりこうしてお会いしていただいた言葉は、特別にうれしい。
意味を超えて、そのまま力として心に働くなぁ。
わたし、に賜った言葉なのだ。
と、今はひとりよがりに思っていたいので明かしません、が、
ひとつ、「プロテクト」については、
いま自分がいちばん課題としていることなので、
すこしだけ書きます。
「プロテクト」。要するに、子どもたちを守る、ということ。
何からか。
点数によって格付けしてゆく価値基準から。
それに晒されることから。
この「プロテクト」の心理は、
心ある教師ならば誰しもがもっているはずのもの、とおもう。
まい日、大勢の生きたこどもたちとともに居るのだ。
かわいくないはずがない。たのしみでないはずがない。
ともに居るのが、たのしくないはずがない。
ひとりひとり、まったく異なる、のびゆく未知の生命体なのだ。
ただ、その「プロテクト」の心理は、
現在おおくの学校教育現場では、
表立って機能できないようにさせられてしまっている。
こどもと、学校制度とのあいだ。
こどもと、規定された学力とのあいだ。
…
…
…
そこに居合わせたひとりの少年が、
(彼は高校に失望して中退したんだと教えてくれた。)
「とてもいい先生なんだけれど、
制度に負けてるなっていうのが見えて、
もったいないなと思っていました。
言ってることと、やってることが、ちがう。
はざ間でゆれてるから。」
と語った。
わ、それって私のことじゃないか。
そうだよね、こどもたちは、
そんなのかならず見抜いてる。
そして、
おろおろと揺れずに、
まずはっきりとこどもたちの側に
軸足をおくことのできるおとなを、
待ち望んでいる。
それに応えてゆくためには、
「たたかうこと」だと内田先生がおっしゃった。
こどもたちのために、たたかうことだ、と。
学校という時空に働いている価値。
それは見えないけれど、
いつも圧倒的な力でわたしを支配してくる。
しらずしらず、わたしはその力に冒されて、
教壇でかなしんだり、いらいらしたりしているのだ。
まことに不本意なことだと思う。
くやしいじゃないか。
いったい何のために、教育学をまなんできたんだ。
この力と、たたかうためだろう。
こどもの側に、立つためだろう。
もちろん、何とかふりほどこうと日々もがいてはいるけれど、
心のどっかが、まだ捕まってる。隷属している。
その力から、ひとまず自由になって、
こどもたちと居られたらどんなにいいだろう。
こどもたちは、生きている。
そこには自ずと、おのおのの目覚しい成長が立ちあらわれている。
それに添い、囃し、よろこんでいたい。
制度を野次り、失望しながら、
結局んとこ制度に使われてる教師じゃいやだ。
きちんと、じぶんで、こどもたちの前に立とう。
わたしはまだどっか、覚悟が甘いんだな。
内田先生の仰る「たたかうこと」は、
なにやら派手な大立ち周りのたたかいじゃなくって、
己の内なるたたかいだ。
わたしはこどもと居たい。
ひとりひとり、どんなにすばらしいかってこと、
みなの命が、どんなに誠実なものかってこと、
一緒にみつめて、よろこんでいきたい。
じきに4月。
1年、また気持を新たに、学校にいこう。
内田樹先生、ありがとうございます!
○中沢先生にお会いするのは、
先年の大阪・相愛大学での集中講義「原発と仏教」以来でした。
先生、開口一番、
「ちょっと太ったんじゃない。」
とおっしゃった。
へへ、「ちょっと」じゃないです、先生。
そのあとも、先生はわたしを見るたびに、
「太ったねー。ぱんぱんしてるよ。」としみじみおっしゃる。
可笑しかった。
いまきっと、アンパンマンみたいなんだろうな、私。
こんどお会いする時には、すこししぼんでるようにしよう。
○糸島の地をあるいてると、
地鳴りがきこえる。
それは鼓膜をつうじてきこえる音じゃないんだけれど、
すごい振動なんだ。
この地は、鳴ってる。
来るたび、何だろうこれと思っていて。
でもすこうしずつ、それが可視のものになってきてる。
もっともっと、近づきたい。
○吉本隆明さんが、亡くなられた。
はっとして、目をとじ、ふかく呼吸した。
○若松英輔さんの『魂にふれる―大震災と、生きている死者』、とどく。
生きている死者。
幼いころからずっともとめていたことばが、書いてある。
若松さん、ありがとう。宝物です。
○レッジョ・エミリア展、クロージングパーティ参加。
子どもたちの100の言葉の本、
復刊が決まったそうだ。
よかった!
○これから古道具屋に、
親鸞の姿絵を買いにいきます。
吉本さん!親鸞さん!
はっとして、目をとじ、ふかく呼吸した。
○若松英輔さんの『魂にふれる―大震災と、生きている死者』、とどく。
生きている死者。
幼いころからずっともとめていたことばが、書いてある。
若松さん、ありがとう。宝物です。
○レッジョ・エミリア展、クロージングパーティ参加。
子どもたちの100の言葉の本、
復刊が決まったそうだ。
よかった!
○これから古道具屋に、
親鸞の姿絵を買いにいきます。
吉本さん!親鸞さん!
○沈丁花、8分咲き。
もう、うーっとり、だ。
深紅のつぼみ、きれいやなぁ。
○3がつ11にち14じ46ふん。
私はおばあちゃんのところにいた。
認知症のお年寄りがたくさん暮らしている、
介護施設のなか。
おばあちゃんは眠りがうまくゆかなくて、
日中ねむたくてしかたがないから、
食いっぱぐれてしまうこともあるみたい。
3じのお八つくらいは一緒について、
食べるの手伝おうとおもって待っていた。
ほとんど目をあけないおばあちゃんの口に、
すこしずつすこしずつ、お八つをはこぶ。
おばあちゃん目をとじたまま、
「おいしーい。」
「おいしいねー、これどうしたん?」
と幼い子のように話したりする。
もうわたしのことを
孫の「恭ちゃん」だとわからなくなった。
でも、おばあちゃんは相変わらずおだやかで、
人柄はちっとも変わらない。
おっとりと、そのままに、いる。
けんめいにお八つを食べるおばあちゃんの後ろには、
大きなスクリーン。
3がつ11にち14じ46ふん、
以降1年間のおびただしい映像が、つぎつぎと映し出されている。
昨年のこの日、おばあちゃんはまだ、
意識に不明瞭なところなどなくて、
むしろ聡明といいたいくらいだった。
私が遊びにゆくと、ほがらかによく話した。
はじめて着物をきて、
おばあちゃんに見せにいったのも、
さくねん震災のあとだった。
気が咎めてしかたがなかったけれど、
もうあまり見えなくなったおばあちゃんの目に、
わたしの着物姿をうつしてあげたかった。
おばあちゃんは、すーごくよろこんでくれた。
春の日ざしにつつまれて、
ひさしぶりに一緒に写真をとった。
そのあと両親と太宰府天満宮にでかけて、
父がたくさんたくさん写真をとってくれたけれど、
おばあちゃんと写っている写真がいちばん表情がいいねと、
見るひとが口々に言った。
たしかに、そう。
その一枚だけ、
私の顔、なんだかぴかぴかに光っている。
顔面神経痛になって以来、
ぜったいに写真に写ろうとしなかったおばあちゃんも、
隣でうれしそうにしてくれている。
よかった、撮っておいて。
撮っておいて、よかった。
この一年の事のすべては、
目の前のおばあちゃんと、
その後ろに流れる映像の間に、
あるんだと思って。
声あげて泣きたかった。
わたしは小ちゃなからだで、
一年の事の濁流のまんなかに、
どうにか流されないで立っている。
ただ、それだけだ。
それでもう、精一杯なんだ。
ごめん、何にもできない。
でも、ていねいに呼吸しよう。
やわらかく垂れたおばあちゃんのまぶたが、
時おり、ゆっくりと持ちあがる。
そして澄んだ光がのぞく。
子猫の目がはじめてひらく時みたいに。
今年おばあちゃんの庭にひらいたパンジーの花を、
一輪摘んできて、おばあちゃんの手におく。
おばあちゃん、おぼろ月のようなまなざしで、
じっとみつめる。
「おばあちゃん、きれいねー。」
というと、
こくりと、かすかにうなずいた。
手に、パンジーをにぎったまま、
おばあちゃんはまた眠りにおちてった。
こんなささやかなやりとりが、
ばかみたいに尊く思える。
拝みたくなるような、
永遠を目の前にしているような。
神々しくさえある時間。
なんにも解決できていない。
とらなければならない行動を、
塵ほども実行にうつせていない。
心も不安定だ。
口ばっかりが先に走る。
ひとに愛情をもとめて、
つれなさを感じるとすぐに心をとざす。
じぶんから愛情をそそぐことをいつも忘れて。
あたえられた愛情さえも、つい忘れてしまう。
不完全だ。
なんて、みっともなく、欠けてるんだろう。
おばあちゃんの膝にすがって、
泣きたかった。
スクリーンは、とめどなく、
震災と、震災後のたいへんな映像を映している。
その前で、
おばあちゃんが、
「お茶がのみたいねぇ。」
と、おっとりと声をだす。
スクリーンとおばあちゃんの間。
わたしの心はずーっと、
その間をいったりきたりして、
うろうろとしているだけだった。
○姪っ子の初節句と誕生日のお祝いに搗いた紅白餅。
おいしい、おいしい。
きのうはあずきを炊いて、ぜんざいを作った。
3がつ末に、またお餅を搗くそう。
万歳してよろこびます。
もう、うーっとり、だ。
深紅のつぼみ、きれいやなぁ。
○3がつ11にち14じ46ふん。
私はおばあちゃんのところにいた。
認知症のお年寄りがたくさん暮らしている、
介護施設のなか。
おばあちゃんは眠りがうまくゆかなくて、
日中ねむたくてしかたがないから、
食いっぱぐれてしまうこともあるみたい。
3じのお八つくらいは一緒について、
食べるの手伝おうとおもって待っていた。
ほとんど目をあけないおばあちゃんの口に、
すこしずつすこしずつ、お八つをはこぶ。
おばあちゃん目をとじたまま、
「おいしーい。」
「おいしいねー、これどうしたん?」
と幼い子のように話したりする。
もうわたしのことを
孫の「恭ちゃん」だとわからなくなった。
でも、おばあちゃんは相変わらずおだやかで、
人柄はちっとも変わらない。
おっとりと、そのままに、いる。
けんめいにお八つを食べるおばあちゃんの後ろには、
大きなスクリーン。
3がつ11にち14じ46ふん、
以降1年間のおびただしい映像が、つぎつぎと映し出されている。
昨年のこの日、おばあちゃんはまだ、
意識に不明瞭なところなどなくて、
むしろ聡明といいたいくらいだった。
私が遊びにゆくと、ほがらかによく話した。
はじめて着物をきて、
おばあちゃんに見せにいったのも、
さくねん震災のあとだった。
気が咎めてしかたがなかったけれど、
もうあまり見えなくなったおばあちゃんの目に、
わたしの着物姿をうつしてあげたかった。
おばあちゃんは、すーごくよろこんでくれた。
春の日ざしにつつまれて、
ひさしぶりに一緒に写真をとった。
そのあと両親と太宰府天満宮にでかけて、
父がたくさんたくさん写真をとってくれたけれど、
おばあちゃんと写っている写真がいちばん表情がいいねと、
見るひとが口々に言った。
たしかに、そう。
その一枚だけ、
私の顔、なんだかぴかぴかに光っている。
顔面神経痛になって以来、
ぜったいに写真に写ろうとしなかったおばあちゃんも、
隣でうれしそうにしてくれている。
よかった、撮っておいて。
撮っておいて、よかった。
この一年の事のすべては、
目の前のおばあちゃんと、
その後ろに流れる映像の間に、
あるんだと思って。
声あげて泣きたかった。
わたしは小ちゃなからだで、
一年の事の濁流のまんなかに、
どうにか流されないで立っている。
ただ、それだけだ。
それでもう、精一杯なんだ。
ごめん、何にもできない。
でも、ていねいに呼吸しよう。
やわらかく垂れたおばあちゃんのまぶたが、
時おり、ゆっくりと持ちあがる。
そして澄んだ光がのぞく。
子猫の目がはじめてひらく時みたいに。
今年おばあちゃんの庭にひらいたパンジーの花を、
一輪摘んできて、おばあちゃんの手におく。
おばあちゃん、おぼろ月のようなまなざしで、
じっとみつめる。
「おばあちゃん、きれいねー。」
というと、
こくりと、かすかにうなずいた。
手に、パンジーをにぎったまま、
おばあちゃんはまた眠りにおちてった。
こんなささやかなやりとりが、
ばかみたいに尊く思える。
拝みたくなるような、
永遠を目の前にしているような。
神々しくさえある時間。
なんにも解決できていない。
とらなければならない行動を、
塵ほども実行にうつせていない。
心も不安定だ。
口ばっかりが先に走る。
ひとに愛情をもとめて、
つれなさを感じるとすぐに心をとざす。
じぶんから愛情をそそぐことをいつも忘れて。
あたえられた愛情さえも、つい忘れてしまう。
不完全だ。
なんて、みっともなく、欠けてるんだろう。
おばあちゃんの膝にすがって、
泣きたかった。
スクリーンは、とめどなく、
震災と、震災後のたいへんな映像を映している。
その前で、
おばあちゃんが、
「お茶がのみたいねぇ。」
と、おっとりと声をだす。
スクリーンとおばあちゃんの間。
わたしの心はずーっと、
その間をいったりきたりして、
うろうろとしているだけだった。
○姪っ子の初節句と誕生日のお祝いに搗いた紅白餅。
おいしい、おいしい。
きのうはあずきを炊いて、ぜんざいを作った。
3がつ末に、またお餅を搗くそう。
万歳してよろこびます。
○田中正造の研究者として知られる、
熊本大学文学部の小松裕さん。
彼が昨年震災後に出版した
『真の文明は人を殺さず―田中正造の言葉に学ぶ明日の日本』
を注文した。
↓ こちら、彼のHPからの転載。
二一世紀に入ってからも、人類文明や地球環境の危機がさらに深刻度を増し、悲惨な戦争も世界各地で止むことなくつづいている。私たちが「人間でありつづけること」の意味を否応なしに考えさせられる状況であるが、そのことは同時に、田中正造が生涯をかけて実現をめざした思想的課題が、依然として輝きを失うことなく、私たちの前に課題として横たわっていることを意味する。
田中正造は、ある意味で、現代的課題を先取りし、その解決を試みた人物であった。
まず、第一に指摘できるのは、私が「水の思想」と形容している環境倫理思想である。その基本は、自然に対して謙虚であることであった。正造には、「山や川の寿命は万億年の寿命」だが、人間の寿命は「一瞬間」に過ぎないという地球史レベルの確信があった。だから、人は万物の霊長でなくてもよい、「万物の奴隷でもよし、万物の奉公人でもよし」として、人間中心主義的な発想を戒めた。人間は「万事万物の中ニ居る」ものであるから、「万事万物ニ反きそこなわず、元気正しく孤立せざること」が重要であると、自然に対する傲慢さを棄て、自然との調和・共生を理想とした。自然を害して得られる利益は「人造の利益」に過ぎない、「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」というのである。こうした正造の視点からすれば、諫早湾干拓や川辺川ダム建設問題など、「公共事業」を名目に自然を改変し「人造の利益」を追求してやまない日本は、とうてい「文明」国とはいえないであろう。
正造が追求した「真の文明」とは、他人よりもより多く、よりよいものを所有しようという欲望を否定するところに成立するものでもあった。いわば大量消費文明の否定であり、そこから世界人類を解放させることが正造の願ったことでもあった。これが第二の特徴である。花崎皋平氏がつとに注目するところであるが、田中正造は、なにものも所有しない、所有しようとしない生き方(「無所有の思想」)を実践することを通じて、「所有」よりも「存在」を優先させる文明を追求していた。だから、正造は、富めるものの権利という性格が強い私的所有権を、小生産者の財産を守るために活用しただけにとどまらず、やがては「弱者の権利」ともいうべき社会的生存権をより重視するようになっていったのである。天が与えた土地の共有も主張していた。
鉱毒に殺された人を「非命の死者」と表現したように、正造は、「国益」に押しつぶされていった生命に寄り添う視点から、利益中心の近代文明を告発しつづけた。水俣を舞台に物質重視の近代文明の転換と共同性の再生を訴え続けている作家の石牟礼道子氏は、「私の思想上の先生は田中正造です」と公言してはばからない。このように、足尾と水俣を結びつけて考えるとき、田中正造の文明観は、人類文明再生の重要なてがかりになるかもしれないのである。
第三に、その「平和の思想」も注目に値しよう。正造は、日露戦争の前から非戦論を唱えるようになるが、戦争中から戦後にかけて軍備全廃も主張するようになる。その論理は、戦争に勝利した国だからこそ、世界に先駆け率先して軍備を全廃する義務があるというものであった。敗戦によって軍備の廃絶を決意した戦後日本とは逆の発想であることに注意しなければならない。そして、外交費を増加し、日本の青年が「平和の伝道者」として活躍することに、日本が真に果たすべき国際的役割を見出していったのである。
田中正造は、明治後期を代表するラディカルな民主主義者でもあった。民主主義の再生のために参考になるのは、国民が絶えず政治家を監督し、一年中憲法を論じ、人権の観点から法律を点検して異議申し立てをしていこうとする姿勢であろう。正造は、「議会ニ憲法論なきハ滅亡国の証跡」とさえいっていた。と同時に、自治の思想家でもあった正造は、「地域自治」に立脚した日本社会の構築を模索していた。人びとの自治能力に対する深い信頼に根ざし、地域の独自性に立脚した個性ある地域自治共同体を基本単位に地方政治を考えていた。
正造は、町村の主権者は町村の住民であって、政府に町村の運命を決定する権利はないと主張する。そのような自治思想を抱いていた正造が、晩年に、人びとの「相愛心」に裏づけられた「公共心」という新しい社会的結合原理を提示していたことは、これからの地域社会の再生に向けて、大いに参考になるだろう。このような人権と自治思想に基づいた民主主義思想は、官僚専制の中央集権国家を打破してゆく可能性を示している。
近年、水俣病事件研究では、医学者の果たした役割の検証が進んでいる。しかし、足尾銅山鉱毒事件に関しては、その病像すら科学的に確定していない。人文社会科学的なアプローチがほとんどであり、医学者を含め自然科学者の関心が極端に薄いからである。病像の解明と医学者をはじめとする科学者の果たした役割の検証がぜひとも必要である。政府が設置した鉱毒調査委員会の委員として、足尾銅山を原因とする銅中毒の存在を一貫して否定した医学者入澤達吉の愛弟子が、ハンセン病患者に対する強制隔離・断種政策を強行してきた光田健輔であったという事実は、単なる偶然であろうか。
―「現在に生きる田中正造」より(『世界』736号、2005年2月)
ことしは彼の著作をとおして、
足尾銅山事件、
そして水俣病事件について、勉強しようとおもう。
○九州民俗学会、入会。
○社叢学会、入会。
熊本大学文学部の小松裕さん。
彼が昨年震災後に出版した
『真の文明は人を殺さず―田中正造の言葉に学ぶ明日の日本』
を注文した。
↓ こちら、彼のHPからの転載。
二一世紀に入ってからも、人類文明や地球環境の危機がさらに深刻度を増し、悲惨な戦争も世界各地で止むことなくつづいている。私たちが「人間でありつづけること」の意味を否応なしに考えさせられる状況であるが、そのことは同時に、田中正造が生涯をかけて実現をめざした思想的課題が、依然として輝きを失うことなく、私たちの前に課題として横たわっていることを意味する。
田中正造は、ある意味で、現代的課題を先取りし、その解決を試みた人物であった。
まず、第一に指摘できるのは、私が「水の思想」と形容している環境倫理思想である。その基本は、自然に対して謙虚であることであった。正造には、「山や川の寿命は万億年の寿命」だが、人間の寿命は「一瞬間」に過ぎないという地球史レベルの確信があった。だから、人は万物の霊長でなくてもよい、「万物の奴隷でもよし、万物の奉公人でもよし」として、人間中心主義的な発想を戒めた。人間は「万事万物の中ニ居る」ものであるから、「万事万物ニ反きそこなわず、元気正しく孤立せざること」が重要であると、自然に対する傲慢さを棄て、自然との調和・共生を理想とした。自然を害して得られる利益は「人造の利益」に過ぎない、「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」というのである。こうした正造の視点からすれば、諫早湾干拓や川辺川ダム建設問題など、「公共事業」を名目に自然を改変し「人造の利益」を追求してやまない日本は、とうてい「文明」国とはいえないであろう。
正造が追求した「真の文明」とは、他人よりもより多く、よりよいものを所有しようという欲望を否定するところに成立するものでもあった。いわば大量消費文明の否定であり、そこから世界人類を解放させることが正造の願ったことでもあった。これが第二の特徴である。花崎皋平氏がつとに注目するところであるが、田中正造は、なにものも所有しない、所有しようとしない生き方(「無所有の思想」)を実践することを通じて、「所有」よりも「存在」を優先させる文明を追求していた。だから、正造は、富めるものの権利という性格が強い私的所有権を、小生産者の財産を守るために活用しただけにとどまらず、やがては「弱者の権利」ともいうべき社会的生存権をより重視するようになっていったのである。天が与えた土地の共有も主張していた。
鉱毒に殺された人を「非命の死者」と表現したように、正造は、「国益」に押しつぶされていった生命に寄り添う視点から、利益中心の近代文明を告発しつづけた。水俣を舞台に物質重視の近代文明の転換と共同性の再生を訴え続けている作家の石牟礼道子氏は、「私の思想上の先生は田中正造です」と公言してはばからない。このように、足尾と水俣を結びつけて考えるとき、田中正造の文明観は、人類文明再生の重要なてがかりになるかもしれないのである。
第三に、その「平和の思想」も注目に値しよう。正造は、日露戦争の前から非戦論を唱えるようになるが、戦争中から戦後にかけて軍備全廃も主張するようになる。その論理は、戦争に勝利した国だからこそ、世界に先駆け率先して軍備を全廃する義務があるというものであった。敗戦によって軍備の廃絶を決意した戦後日本とは逆の発想であることに注意しなければならない。そして、外交費を増加し、日本の青年が「平和の伝道者」として活躍することに、日本が真に果たすべき国際的役割を見出していったのである。
田中正造は、明治後期を代表するラディカルな民主主義者でもあった。民主主義の再生のために参考になるのは、国民が絶えず政治家を監督し、一年中憲法を論じ、人権の観点から法律を点検して異議申し立てをしていこうとする姿勢であろう。正造は、「議会ニ憲法論なきハ滅亡国の証跡」とさえいっていた。と同時に、自治の思想家でもあった正造は、「地域自治」に立脚した日本社会の構築を模索していた。人びとの自治能力に対する深い信頼に根ざし、地域の独自性に立脚した個性ある地域自治共同体を基本単位に地方政治を考えていた。
正造は、町村の主権者は町村の住民であって、政府に町村の運命を決定する権利はないと主張する。そのような自治思想を抱いていた正造が、晩年に、人びとの「相愛心」に裏づけられた「公共心」という新しい社会的結合原理を提示していたことは、これからの地域社会の再生に向けて、大いに参考になるだろう。このような人権と自治思想に基づいた民主主義思想は、官僚専制の中央集権国家を打破してゆく可能性を示している。
近年、水俣病事件研究では、医学者の果たした役割の検証が進んでいる。しかし、足尾銅山鉱毒事件に関しては、その病像すら科学的に確定していない。人文社会科学的なアプローチがほとんどであり、医学者を含め自然科学者の関心が極端に薄いからである。病像の解明と医学者をはじめとする科学者の果たした役割の検証がぜひとも必要である。政府が設置した鉱毒調査委員会の委員として、足尾銅山を原因とする銅中毒の存在を一貫して否定した医学者入澤達吉の愛弟子が、ハンセン病患者に対する強制隔離・断種政策を強行してきた光田健輔であったという事実は、単なる偶然であろうか。
―「現在に生きる田中正造」より(『世界』736号、2005年2月)
ことしは彼の著作をとおして、
足尾銅山事件、
そして水俣病事件について、勉強しようとおもう。
○九州民俗学会、入会。
○社叢学会、入会。