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秦きょうこ
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語り部。作家。
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。
いろいろのお問い合わせは、こちらまで。
上映会のご希望なども、お気軽にどうぞ。
musubino.huyuru@gmail.com
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○若松英輔さんの新刊を注文した。
『魂にふれる ―大震災と、生きている死者―』
「私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる。
死者は私たちに寄り添い、常に私たちの魂を見つめている。
私たちが見失ったときでさえ、それを見つめ続けている。
悲しみは死者が近づく合図なのだ。」
小林秀雄さんが、
亡き人を、あるいは歴史を、
語るときの語り口に似ている。
若松英輔さん。
ことし会いに行きたい人の、一人です。
こちらは目次。
I
悲しむ生者と寄り添う死者
悲愛の扉をひらく
協同する不可視な「隣人」―大震災と「生ける死者」―
II
1 死者に思われて生きる
2 コトバとココロ
3 没後に出会うということ
4 冥府の青
5 先祖になる
6 悲嘆する仏教者
7 死者の哲学の誕生
III
「うつわ」としての私―いま、『生きがいについて』を読む―
魂にふれる
あとがき
早く、とどかないかな。
○ほか、いくつか注文。
・斎藤たま『生ともののけ』
『死ともののけ』
・柳田國男監修『年中行事図説』
・宮本常一『絵巻物にみる日本庶民生活誌』
・河合隼雄、谷川俊太郎『魂にメスはいらない―ユング心理学講義』
○天神の三菱地所アルティアムで開催されている
「驚くべき学びの世界展」にいきたい。
北イタリアのレッジョ・エミリアの幼児教育が紹介されているのだ。
3月15日(木)まで。
クロージングパーティに出てみようかな。
○日本の子どもたちが伝承してきた遊びを、
民俗学にまなびながら、
教育学や心理学のまなざしによって捉えなおし、
カリキュラム化することはできないだろうか。
『魂にふれる ―大震災と、生きている死者―』
「私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる。
死者は私たちに寄り添い、常に私たちの魂を見つめている。
私たちが見失ったときでさえ、それを見つめ続けている。
悲しみは死者が近づく合図なのだ。」
小林秀雄さんが、
亡き人を、あるいは歴史を、
語るときの語り口に似ている。
若松英輔さん。
ことし会いに行きたい人の、一人です。
こちらは目次。
I
悲しむ生者と寄り添う死者
悲愛の扉をひらく
協同する不可視な「隣人」―大震災と「生ける死者」―
II
1 死者に思われて生きる
2 コトバとココロ
3 没後に出会うということ
4 冥府の青
5 先祖になる
6 悲嘆する仏教者
7 死者の哲学の誕生
III
「うつわ」としての私―いま、『生きがいについて』を読む―
魂にふれる
あとがき
早く、とどかないかな。
○ほか、いくつか注文。
・斎藤たま『生ともののけ』
『死ともののけ』
・柳田國男監修『年中行事図説』
・宮本常一『絵巻物にみる日本庶民生活誌』
・河合隼雄、谷川俊太郎『魂にメスはいらない―ユング心理学講義』
○天神の三菱地所アルティアムで開催されている
「驚くべき学びの世界展」にいきたい。
北イタリアのレッジョ・エミリアの幼児教育が紹介されているのだ。
3月15日(木)まで。
クロージングパーティに出てみようかな。
○日本の子どもたちが伝承してきた遊びを、
民俗学にまなびながら、
教育学や心理学のまなざしによって捉えなおし、
カリキュラム化することはできないだろうか。
PR
○映画『もののけ姫』。
アシタカが祟り神の呪いをうけて
蝦夷の村を出てゆくとき、
短刀で髷を切る場面がある。
あの時、アシタカは人間でなくなるのだと、
宮崎駿さんがおっしゃっていた。
○わたしも髪を切った。
だらだらと長くしていて、
鬱陶しいときはくくってごまかしていたのだけれど。
ひさしぶりにばっさりと切った。
ちょうどアシタカくらいだ。
心底ねがっているのに、
どうしたって叶えられないことがあった。
もう絶対にだめなんだと思っても、
一晩ねたら、また無邪気にのびあがってくる、
そんなねがい。
とても健やかなものだった。
けれど、そろそろ、切らなくては。
このごろずっと、そう思っていて。
きょう久しぶりの休日に、
ねがいを、髪ごと、捨ててきた。
あすの朝、
またのびていなけりゃいいけれど。
○ほかの生き物のように劇的に、
変身できない私たちにとって、
髪の毛っていうのは大事なんだなぁ。
もしいつか、
恨みとかなしみに巻かれて
黄泉の国のイザナミみたいに髪の毛が蛇になっちゃったら、
そのときは剃髪にするしかない。
なんとなくそれも覚悟しながら、
でもアシタカみたいな誠実なふるまいも、
めざしてみようと思います。
アシタカが祟り神の呪いをうけて
蝦夷の村を出てゆくとき、
短刀で髷を切る場面がある。
あの時、アシタカは人間でなくなるのだと、
宮崎駿さんがおっしゃっていた。
○わたしも髪を切った。
だらだらと長くしていて、
鬱陶しいときはくくってごまかしていたのだけれど。
ひさしぶりにばっさりと切った。
ちょうどアシタカくらいだ。
心底ねがっているのに、
どうしたって叶えられないことがあった。
もう絶対にだめなんだと思っても、
一晩ねたら、また無邪気にのびあがってくる、
そんなねがい。
とても健やかなものだった。
けれど、そろそろ、切らなくては。
このごろずっと、そう思っていて。
きょう久しぶりの休日に、
ねがいを、髪ごと、捨ててきた。
あすの朝、
またのびていなけりゃいいけれど。
○ほかの生き物のように劇的に、
変身できない私たちにとって、
髪の毛っていうのは大事なんだなぁ。
もしいつか、
恨みとかなしみに巻かれて
黄泉の国のイザナミみたいに髪の毛が蛇になっちゃったら、
そのときは剃髪にするしかない。
なんとなくそれも覚悟しながら、
でもアシタカみたいな誠実なふるまいも、
めざしてみようと思います。
○実家の白梅が、
うつくしい。
こんなにたくさんの花をつけたのは、
初めてのことだろう。
○高校生のとき、
英語科の先生に
「奥さんを、花に譬えたら?」
と女子高生らしい質問をしたことがある。
先生は当時、40半ばだっただろうか。
たいてい仏頂面、
だけど時折おどけ面して、
おもしろい先生だった。
照れてはぐらかすかしら、
と思ったのだけれど、
先生は仏頂面のまま、
「梨の花のような人です。」
とはっきりこたえた。
私たちは「キャーッ」と大よろこびして、
けれど、大半の子は、
梨の花って見たことがない。
「先生、梨の花ってどんな花なんですか?」
と聞くと、
「派手な花じゃない。
白い、清楚な花です。」
とこたえて下さった。
みんながまた悲鳴をあげる中、
わたしは心底ぽぅっとしてしまった。
いいなぁ、と思ったのだ。
そんな風に、思ってもらえるなんて、
いいなぁ。
きっと静かで、うつくしい心の人なんやろなぁ。
あれから15年。
わたしはまだ、あのとき憧れた「梨の花のような人」を、
かすかに胸にえがいた面影を、忘れられないでいる。
あの時たぶん、
「梨の花のような人」は、じぶんの理想の女性として、
心のどこかに刻まれたんだろう。
そして同時に、
そんな風にじぶんを思ってくれる男性が、
この世にあるかもしれないのだ、ということも。
30歳をすぎて、
そんな乙女心のままにいちゃいけない、
という声も年毎に大きくきこえてくるけれど。
やっぱりなぁ、いいよなぁ、
「梨の花のような人」って。
そんな言葉でむすばれるふたりってのは。
○松井冬子さんの描く「女」は、
泣かないのかな。
自らを、泣くことはないのだろうか。
じぶんの狂気を、
かな(哀/愛)しくおもって、
ぽたぽたと涙をこぼすことは。
○白玉ぜんざいを、
母がつくってくれていた。
姪っ子のお祝いの、
紅白餅のおすそわけもいただいた。
今はコンロでひよこ豆が、
ことことと炊かれている。
朝は大根葉たっぷりのおみそ汁と雑穀玄米ごはん。
昼は玉ねぎたっぷりの牛丼。
夜は豚汁と春菊の白和え、いま下準備中。
こんな贅沢をさせてもらって、
いいんだろうか。
○あすは3月11日。
震災から1年になる。
わたしはどう過ごすんだろうか。
北九州では大規模な脱原発のデモ集会も予定されていて、
わたしの知人たちも、
出店したり、参加したり、
きちんと行動で示そうとしている。
わたしは、どうするんだろうか。
わたしの勤め先である枝光のまちで、
町内のお祭りがあるというから、
それには出かけてみようかと思っている。
北九州市の中でも、
もっとも高齢化のすすんでいる地域の、
公民館の、おまつり。
大事だとおもっていて。
それから、後は。
後は、どうしたらいいんだろう。
考えてもわからない。
考えると浮ついてくる。
でも、
きちんとやろう。
深呼吸して、みきわめよう。
○庭のサンシュユが、
マッチ棒の先みたいな蕾を枝いっぱいにつけている。
畑の葉やさいたちが、
日ざしに昇りはじめている。
畝に咲く水仙の、
さいごの蕾がひらこうとしている。
お日様、ありがとう。
こころも晴れるよ。
うつくしい。
こんなにたくさんの花をつけたのは、
初めてのことだろう。
○高校生のとき、
英語科の先生に
「奥さんを、花に譬えたら?」
と女子高生らしい質問をしたことがある。
先生は当時、40半ばだっただろうか。
たいてい仏頂面、
だけど時折おどけ面して、
おもしろい先生だった。
照れてはぐらかすかしら、
と思ったのだけれど、
先生は仏頂面のまま、
「梨の花のような人です。」
とはっきりこたえた。
私たちは「キャーッ」と大よろこびして、
けれど、大半の子は、
梨の花って見たことがない。
「先生、梨の花ってどんな花なんですか?」
と聞くと、
「派手な花じゃない。
白い、清楚な花です。」
とこたえて下さった。
みんながまた悲鳴をあげる中、
わたしは心底ぽぅっとしてしまった。
いいなぁ、と思ったのだ。
そんな風に、思ってもらえるなんて、
いいなぁ。
きっと静かで、うつくしい心の人なんやろなぁ。
あれから15年。
わたしはまだ、あのとき憧れた「梨の花のような人」を、
かすかに胸にえがいた面影を、忘れられないでいる。
あの時たぶん、
「梨の花のような人」は、じぶんの理想の女性として、
心のどこかに刻まれたんだろう。
そして同時に、
そんな風にじぶんを思ってくれる男性が、
この世にあるかもしれないのだ、ということも。
30歳をすぎて、
そんな乙女心のままにいちゃいけない、
という声も年毎に大きくきこえてくるけれど。
やっぱりなぁ、いいよなぁ、
「梨の花のような人」って。
そんな言葉でむすばれるふたりってのは。
○松井冬子さんの描く「女」は、
泣かないのかな。
自らを、泣くことはないのだろうか。
じぶんの狂気を、
かな(哀/愛)しくおもって、
ぽたぽたと涙をこぼすことは。
○白玉ぜんざいを、
母がつくってくれていた。
姪っ子のお祝いの、
紅白餅のおすそわけもいただいた。
今はコンロでひよこ豆が、
ことことと炊かれている。
朝は大根葉たっぷりのおみそ汁と雑穀玄米ごはん。
昼は玉ねぎたっぷりの牛丼。
夜は豚汁と春菊の白和え、いま下準備中。
こんな贅沢をさせてもらって、
いいんだろうか。
○あすは3月11日。
震災から1年になる。
わたしはどう過ごすんだろうか。
北九州では大規模な脱原発のデモ集会も予定されていて、
わたしの知人たちも、
出店したり、参加したり、
きちんと行動で示そうとしている。
わたしは、どうするんだろうか。
わたしの勤め先である枝光のまちで、
町内のお祭りがあるというから、
それには出かけてみようかと思っている。
北九州市の中でも、
もっとも高齢化のすすんでいる地域の、
公民館の、おまつり。
大事だとおもっていて。
それから、後は。
後は、どうしたらいいんだろう。
考えてもわからない。
考えると浮ついてくる。
でも、
きちんとやろう。
深呼吸して、みきわめよう。
○庭のサンシュユが、
マッチ棒の先みたいな蕾を枝いっぱいにつけている。
畑の葉やさいたちが、
日ざしに昇りはじめている。
畝に咲く水仙の、
さいごの蕾がひらこうとしている。
お日様、ありがとう。
こころも晴れるよ。
○先日、あかご展に来てくださった先輩に、
「松井冬子」さんのことをおそわった。
日本画家、ひじょうに美しい人として知られている。
http://matsuifuyuko.com/
↑こちら、彼女のHP。
『美術手帖』の2月号だったかに、
特集も組まれているそう。
いまちょうど、
横浜の美術館で展覧会がひらかれている。
先輩方曰く、
わたしと重なるのだそうだ。
先輩は、
わたしの書くものを「こわい」とおっしゃる。
こわくて容易にはちかづけない。
けれど、「知ってる」。
知っているこわさ、
じぶんのなかに、見知っている、
けれど直視できないでいるもの、
なのだと。
その「こわい」が、
松井冬子さんの「こわい」と
おんなじ感覚なのだといわれた。
「こわい」、か。
どんなだろう、と、
HPで絵を拝見していたら、
なんだか涙がぼたぼたでてきた。
吐きそうだ。
こわい、こわい。
狂気。
それでいて、
冷たいまなざし。
狂気を、直視している。
じぶんの底に、
都合のよい言葉でまるめこんで隠しているもの。
それが、ひきずりだされているような気がする。
この人は理性がつよい。
これほどの狂気を、描けるのだから。
暴発して果てるのではなく、
社会のただ中に、
それを形として投げ込むことができるのだから。
よくぞ、と思います。
わたしも、
表現をかんがえなくちゃなぁ。
○あかご展。
ほんじつ8つの「ことのは」を結わえてきました。
「め」
と、
「めきめき」
が、おもしろかった。
「め」という音は、
「出てくる」音なのだなぁ。
○久しぶりのお休み。
2か月のあいだにゴミ溜めのようになった文庫を、
すこしずつ掃除する。
が、からだの疲れも溜まっているから、
なかなか思うように動けない。
文庫、はやく再開したいのになぁ。
○小林秀雄さんが講演のなかで、
「諸君は自然科学に化かされているんじゃないか。」
「諸君はまるで科学が人間の理性であるかのように思っているが、
科学に理性なんてありゃしないですよ。
智恵だって持っていないんです。」
とおっしゃっていた。
おっしゃる通りだ。
○昨年の秋口に、
体重計を押入れにしまった。
そのとたん安心して食欲がわき、
数ヶ月で5kgほどふくよかになってしまった。
公言すべきことでもないが、
びっくりして思わず書いてしまった。
「しまった」つづきだ。
○お世話になっていたご近所さんが、
とおくに移ってしまわれた。
もう会えない。
大すきな爺ちゃんだった。
「松井冬子」さんのことをおそわった。
日本画家、ひじょうに美しい人として知られている。
http://matsuifuyuko.com/
↑こちら、彼女のHP。
『美術手帖』の2月号だったかに、
特集も組まれているそう。
いまちょうど、
横浜の美術館で展覧会がひらかれている。
先輩方曰く、
わたしと重なるのだそうだ。
先輩は、
わたしの書くものを「こわい」とおっしゃる。
こわくて容易にはちかづけない。
けれど、「知ってる」。
知っているこわさ、
じぶんのなかに、見知っている、
けれど直視できないでいるもの、
なのだと。
その「こわい」が、
松井冬子さんの「こわい」と
おんなじ感覚なのだといわれた。
「こわい」、か。
どんなだろう、と、
HPで絵を拝見していたら、
なんだか涙がぼたぼたでてきた。
吐きそうだ。
こわい、こわい。
狂気。
それでいて、
冷たいまなざし。
狂気を、直視している。
じぶんの底に、
都合のよい言葉でまるめこんで隠しているもの。
それが、ひきずりだされているような気がする。
この人は理性がつよい。
これほどの狂気を、描けるのだから。
暴発して果てるのではなく、
社会のただ中に、
それを形として投げ込むことができるのだから。
よくぞ、と思います。
わたしも、
表現をかんがえなくちゃなぁ。
○あかご展。
ほんじつ8つの「ことのは」を結わえてきました。
「め」
と、
「めきめき」
が、おもしろかった。
「め」という音は、
「出てくる」音なのだなぁ。
○久しぶりのお休み。
2か月のあいだにゴミ溜めのようになった文庫を、
すこしずつ掃除する。
が、からだの疲れも溜まっているから、
なかなか思うように動けない。
文庫、はやく再開したいのになぁ。
○小林秀雄さんが講演のなかで、
「諸君は自然科学に化かされているんじゃないか。」
「諸君はまるで科学が人間の理性であるかのように思っているが、
科学に理性なんてありゃしないですよ。
智恵だって持っていないんです。」
とおっしゃっていた。
おっしゃる通りだ。
○昨年の秋口に、
体重計を押入れにしまった。
そのとたん安心して食欲がわき、
数ヶ月で5kgほどふくよかになってしまった。
公言すべきことでもないが、
びっくりして思わず書いてしまった。
「しまった」つづきだ。
○お世話になっていたご近所さんが、
とおくに移ってしまわれた。
もう会えない。
大すきな爺ちゃんだった。
○あかご。
展示のひとつに、
銀の小さな鈴と古鈴、
それから幣のような紅白の鈴形の切り紙を、
赤い木綿糸で編んだひもでひとつに結わえたものがある。
シルエットが風鈴のようでもあり、
海月のようでもあるので、
「すず海月」と呼んでいる。
ゆらゆら、ふらふら。
ふらふら、ゆらゆら。
くらげ、刺されるのやだけど、
すき。
○紫花豆炊いた。
いつもよりすこし多めにてんさい糖をいれる。
あまーいのが、たべたい。
それにしても、大きくてりっぱな豆だなぁ。
○枝光商店街のアイアンシアターに、
「ひょうたん最中」なるものがあった。
ひょうたん、すき。
最中、すき。
さっそく1箱いただいて帰る。
包み紙もかわいいし、
最中の形もかわいい。
餡は3種。
あずき、抹茶、いよかん。
とってもおいしかったです。
お土産にもいいなぁ。
枝光商店街にある、
「みずま」という老舗の和菓子屋さんのものだそう。
こんどはお店にいってみよう。
○雲のむこう、かくされたお日様。
人と話しながら、ちらちらとみている。
「あ、居てくれてる。」
というかんじ。
雨ふりばっかりで、
止んでもどんよりで、
あぁー、という毎日。
でも、そうはいって、
いつだってこうして、
照ってくれてるんだよなぁ。
お日様、わたしはうれしいです。
○形有るものは、
いつかなくなる。
かならず、かならず。
○はかないものほど、
つよくのこる。
心には。
○バス停から勤め先まであるく間に、
りっぱな沈丁花の木がある。
その花が、一週間ほど前にひらいた。
いい匂い。
遅刻しそうなことを忘れて、
つい立ち止まってしまう。
○「ことのは」。
きのうは「つたう」という言葉を、
鈴とともに結わえた。
つた。
つたう。
つたえる。
つたわる。
つらら。
つらつら。
つる。
つるつる。
つー。
つづく。
つうしん。
つーかー。
つうじる。
「つ」の力、
みえるなぁ。
○あかご、第2陣。
さくじつ無事に中庭に放す。
第3陣も、つくります。
展示のひとつに、
銀の小さな鈴と古鈴、
それから幣のような紅白の鈴形の切り紙を、
赤い木綿糸で編んだひもでひとつに結わえたものがある。
シルエットが風鈴のようでもあり、
海月のようでもあるので、
「すず海月」と呼んでいる。
ゆらゆら、ふらふら。
ふらふら、ゆらゆら。
くらげ、刺されるのやだけど、
すき。
○紫花豆炊いた。
いつもよりすこし多めにてんさい糖をいれる。
あまーいのが、たべたい。
それにしても、大きくてりっぱな豆だなぁ。
○枝光商店街のアイアンシアターに、
「ひょうたん最中」なるものがあった。
ひょうたん、すき。
最中、すき。
さっそく1箱いただいて帰る。
包み紙もかわいいし、
最中の形もかわいい。
餡は3種。
あずき、抹茶、いよかん。
とってもおいしかったです。
お土産にもいいなぁ。
枝光商店街にある、
「みずま」という老舗の和菓子屋さんのものだそう。
こんどはお店にいってみよう。
○雲のむこう、かくされたお日様。
人と話しながら、ちらちらとみている。
「あ、居てくれてる。」
というかんじ。
雨ふりばっかりで、
止んでもどんよりで、
あぁー、という毎日。
でも、そうはいって、
いつだってこうして、
照ってくれてるんだよなぁ。
お日様、わたしはうれしいです。
○形有るものは、
いつかなくなる。
かならず、かならず。
○はかないものほど、
つよくのこる。
心には。
○バス停から勤め先まであるく間に、
りっぱな沈丁花の木がある。
その花が、一週間ほど前にひらいた。
いい匂い。
遅刻しそうなことを忘れて、
つい立ち止まってしまう。
○「ことのは」。
きのうは「つたう」という言葉を、
鈴とともに結わえた。
つた。
つたう。
つたえる。
つたわる。
つらら。
つらつら。
つる。
つるつる。
つー。
つづく。
つうしん。
つーかー。
つうじる。
「つ」の力、
みえるなぁ。
○あかご、第2陣。
さくじつ無事に中庭に放す。
第3陣も、つくります。