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# プロフィール
HN:
秦きょうこ
性別:
非公開
自己紹介:
語り部。作家。
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。
いろいろのお問い合わせは、こちらまで。
上映会のご希望なども、お気軽にどうぞ。
musubino.huyuru@gmail.com
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。
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musubino.huyuru@gmail.com
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○徹夜をしてしまった。徹夜、を!
なんていって、
いかにも大げさにひびくでしょうけれど、
わたしは十年前に
「もう二どと徹夜はしない。」と誓っていたのです。
それをやぶいちまった。
仕事でどうしようもなかったのだけれど。
○この年でもいちおう徹夜ができるのねぇと、
感慨深くおもいつつ、
それよりかえって調子のよいことにきょうは一日驚いていた。
徹夜あけのこころは、
まれにみる大凪。
で、両のまなこはゆったりと、
この世界をながめわたしていた。
○草むらにしゃがみこんでいたら、
蚊があつまってきた。
蚊の羽音きらい、
かゆくなって腫れるのもいやだ。
でも、そうしてわたしの血が、
ほかの命を養っているということは
貴重なことだなぁとおもう。
蚊の女人が、わたしの血でお腹の子を養うの。
…なんて考えてる間に、たくさん食われた。
それでやっぱり私は「ちくしょう。」とも思っちゃう。
○その昔、いっしょに暮らしていた2羽の小鳥のうち、
さきに死んじゃった子とよく似た小鳥をよそのおうちのお庭にみつけた。
日光浴だね。飼い主のおじいさんがじっとその子をみつめてる。
孫をみつめるみたいに、あったかい目で。
猫なんか来ちゃうとこまっちゃうし。
そこでわたしはおじいさんにことわって、
いっしょにしゃがんで小鳥談義をはじめたの。
わたしのとこのは「錦ちゃん」って名でした。
ほんとそっくり、柄の入り方も、色合いも。
こんなにそっくりなのって、めずらしいんです。
「生まれかわりかね。」って、おじいさん。
そうかもしれない、でもちがうとも思う。
だって、この子はおじいさんのことしか見てないでしょう。
わたしを視野のはじっこに入れつつ、
でもどうしたものかっておじいさんをすがるように見てる。
わたしには心を解いていないもの。
もちろん、いましがた出会ったばかりで、
そうすぐさまうち解ける気にもならないでしょうけれど。
おじいさんは笑って、
それから唸るように「あなたはいいね。」って仰った。
「あなたとその小鳥はいいね。」って。
「おじいさんとこの子もとってもいいですよ。」って返したら、
「いやいや。」と照れくさそうに、
でもまんざらでもないって風にわらった。
小鳥ってちびだし、
似たようなのばっかりだけれどね。
1羽1羽のもってる空気ってのがあって、
そしてそれには表情があって、
いっしょに暮らしていると、
ある瞬間、その空気がふっとゆるんで、
とたんにその子の表情がゆたかに拓かれてくことがある。
小鳥を飼ってても、
あんまり気づかない人もいるみたい。
でもおじいさんは、そこのところよくわかってる人だった。
きっとわたしたちは、よい小鳥仲間になれるだろうと思う。
○ひさしぶりのお買い物。
板麩、韓国の粉唐辛子、白ねりごま、
白と黒の炒りごま、黒のミシン糸を買う。
あしたは、麹屋さんに、麹を買いにいこう。
あと買い足さないといけない物は、
肉桂、わらび粉、切り干し大根、18cmのタルト型、燭台、
そんなところかな。
○「黒糖と木の実のタルト」。
このごろ作りはじめたのだけれど、
とてもおいしい。
みんなに「すごい味だね。」と言われる焼き菓子「たねとむぎ」。
よくたずねられるのですが、
「たね」=かぼちゃの種、ひまわりの種、アーモンド、ごま
「麦」=小麦、オーツ麦
です。
シナモンやナツメグも入って、
すべてをぎゅうと押し固めてあるので、
「すごい味だね。」ってことになるのでしょう、よ。
蒸しぱんはあいかわらずよく作ります。
今週は「抹茶とあずきの蒸しぱん」を二ど作りました。
抹茶を濃くした方が、こっくりとして皆さん好きみたい。
抹茶は、八女の星野村から直接おくっていただいています。
明日はなにを作ろうかな。
○徹夜あけに、酒、酒だ。
といっても、わたしは下戸ですから、
もっぱら「甘酒」、「酒粕」ですが。
先日仕込んだ玄米甘酒。
いつもならそのまま飲んじゃうのですが、
今回はこれで調味料をつくろうと企んでいて、
だいじに冷蔵庫にとっていました。
「塩甘酒」と「甘酒コチュジャン」のふたつ。
本を見ながら、ぶじ仕込み終了。
それぞれ1週間~1ヶ月ほど熟成させます。
たのしみ、だー。
「酒粕」は「酒饅頭」用とおもっていたのですが、
使いおおせないので、これも本をみながら二つほど。
「酒粕クリームソース」と「酒粕のナン」。
「酒粕クリームソース」は、あすお昼にパスタにからめてみよう。
「酒粕のナン」は、すでに家族の胃袋のなかだ。
みなの手がのびてのびて、わたしはあんまりありつけなかった。
塩をひとふりすると、なお美味しい。
○岡垣の親戚から、ことしもたくさんの完熟梅をいただく。
母上がきょう仕込んだ梅ジャムの色がうつくしくてうつくしくて、
もう今日も眠るの止めちゃおうかっておもう位。
でも見てるとその色の中へダイビングしたくなるから、
ちゃんと寝よう。そういう夢をみたらいい。
…そのあたりの分別がつくようになったな、私。
すこしずつ大人になっているようだ。安心した。
○夜の紫陽花ってなかなかこわいもんだ。
とくに株のふとい、大きな背のやつは。
そして濃い色より淡い色。
闇にぼんやりと靄のように浮かびあがって、
気をゆるめるととりこまれそうだよ。
花はこわい。うつくしい。
なんていって、
いかにも大げさにひびくでしょうけれど、
わたしは十年前に
「もう二どと徹夜はしない。」と誓っていたのです。
それをやぶいちまった。
仕事でどうしようもなかったのだけれど。
○この年でもいちおう徹夜ができるのねぇと、
感慨深くおもいつつ、
それよりかえって調子のよいことにきょうは一日驚いていた。
徹夜あけのこころは、
まれにみる大凪。
で、両のまなこはゆったりと、
この世界をながめわたしていた。
○草むらにしゃがみこんでいたら、
蚊があつまってきた。
蚊の羽音きらい、
かゆくなって腫れるのもいやだ。
でも、そうしてわたしの血が、
ほかの命を養っているということは
貴重なことだなぁとおもう。
蚊の女人が、わたしの血でお腹の子を養うの。
…なんて考えてる間に、たくさん食われた。
それでやっぱり私は「ちくしょう。」とも思っちゃう。
○その昔、いっしょに暮らしていた2羽の小鳥のうち、
さきに死んじゃった子とよく似た小鳥をよそのおうちのお庭にみつけた。
日光浴だね。飼い主のおじいさんがじっとその子をみつめてる。
孫をみつめるみたいに、あったかい目で。
猫なんか来ちゃうとこまっちゃうし。
そこでわたしはおじいさんにことわって、
いっしょにしゃがんで小鳥談義をはじめたの。
わたしのとこのは「錦ちゃん」って名でした。
ほんとそっくり、柄の入り方も、色合いも。
こんなにそっくりなのって、めずらしいんです。
「生まれかわりかね。」って、おじいさん。
そうかもしれない、でもちがうとも思う。
だって、この子はおじいさんのことしか見てないでしょう。
わたしを視野のはじっこに入れつつ、
でもどうしたものかっておじいさんをすがるように見てる。
わたしには心を解いていないもの。
もちろん、いましがた出会ったばかりで、
そうすぐさまうち解ける気にもならないでしょうけれど。
おじいさんは笑って、
それから唸るように「あなたはいいね。」って仰った。
「あなたとその小鳥はいいね。」って。
「おじいさんとこの子もとってもいいですよ。」って返したら、
「いやいや。」と照れくさそうに、
でもまんざらでもないって風にわらった。
小鳥ってちびだし、
似たようなのばっかりだけれどね。
1羽1羽のもってる空気ってのがあって、
そしてそれには表情があって、
いっしょに暮らしていると、
ある瞬間、その空気がふっとゆるんで、
とたんにその子の表情がゆたかに拓かれてくことがある。
小鳥を飼ってても、
あんまり気づかない人もいるみたい。
でもおじいさんは、そこのところよくわかってる人だった。
きっとわたしたちは、よい小鳥仲間になれるだろうと思う。
○ひさしぶりのお買い物。
板麩、韓国の粉唐辛子、白ねりごま、
白と黒の炒りごま、黒のミシン糸を買う。
あしたは、麹屋さんに、麹を買いにいこう。
あと買い足さないといけない物は、
肉桂、わらび粉、切り干し大根、18cmのタルト型、燭台、
そんなところかな。
○「黒糖と木の実のタルト」。
このごろ作りはじめたのだけれど、
とてもおいしい。
みんなに「すごい味だね。」と言われる焼き菓子「たねとむぎ」。
よくたずねられるのですが、
「たね」=かぼちゃの種、ひまわりの種、アーモンド、ごま
「麦」=小麦、オーツ麦
です。
シナモンやナツメグも入って、
すべてをぎゅうと押し固めてあるので、
「すごい味だね。」ってことになるのでしょう、よ。
蒸しぱんはあいかわらずよく作ります。
今週は「抹茶とあずきの蒸しぱん」を二ど作りました。
抹茶を濃くした方が、こっくりとして皆さん好きみたい。
抹茶は、八女の星野村から直接おくっていただいています。
明日はなにを作ろうかな。
○徹夜あけに、酒、酒だ。
といっても、わたしは下戸ですから、
もっぱら「甘酒」、「酒粕」ですが。
先日仕込んだ玄米甘酒。
いつもならそのまま飲んじゃうのですが、
今回はこれで調味料をつくろうと企んでいて、
だいじに冷蔵庫にとっていました。
「塩甘酒」と「甘酒コチュジャン」のふたつ。
本を見ながら、ぶじ仕込み終了。
それぞれ1週間~1ヶ月ほど熟成させます。
たのしみ、だー。
「酒粕」は「酒饅頭」用とおもっていたのですが、
使いおおせないので、これも本をみながら二つほど。
「酒粕クリームソース」と「酒粕のナン」。
「酒粕クリームソース」は、あすお昼にパスタにからめてみよう。
「酒粕のナン」は、すでに家族の胃袋のなかだ。
みなの手がのびてのびて、わたしはあんまりありつけなかった。
塩をひとふりすると、なお美味しい。
○岡垣の親戚から、ことしもたくさんの完熟梅をいただく。
母上がきょう仕込んだ梅ジャムの色がうつくしくてうつくしくて、
もう今日も眠るの止めちゃおうかっておもう位。
でも見てるとその色の中へダイビングしたくなるから、
ちゃんと寝よう。そういう夢をみたらいい。
…そのあたりの分別がつくようになったな、私。
すこしずつ大人になっているようだ。安心した。
○夜の紫陽花ってなかなかこわいもんだ。
とくに株のふとい、大きな背のやつは。
そして濃い色より淡い色。
闇にぼんやりと靄のように浮かびあがって、
気をゆるめるととりこまれそうだよ。
花はこわい。うつくしい。
○とらうま。
って書くとちょっとかわいい。
虎馬。虎っぽい馬。
虎柄の馬。
まあ、そんなことはどうでもいいんだけれど。
○PTSD。解離性障害。
と、その周辺のいろいろについて、
友人とはなし合いをしました。
この障害のしめす症状については、
わたしは数年前に『たましずめのうた』のなかに
少しだけ書いたのですが、
やはり今でも時おり、どうしようもなくなることがあります。
きほん的には、ひたかくしに隠しているので、
ごく近く接してくださっている方々をのぞいては、
めったに人にしられることはありません。
が、この「ひたかくしに隠している」という状態が、
そういいことばかりでもないなぁということを、
この頃すこしずつ思うようになり、
もう何年も真摯にかかえてきたものだし、
じぶんなりに勉強もかさねてきたのだから、
ちっぽけに閉じずに、そっとひらいてみよう、
こわごわ皆に、渡してみよう、
という心持ちになってきました。
ここに書くにはむずかしい内容もおおいので、
本、というかたちで実をむすんでゆけたらと、
友人と手をとり作業をはじめたところです。
ヒガイシャ――。
そう、
わたしたちは、
この焦土から、
清い風をおこしたい。
抑圧の傷をとき、
とほうもない慈悲へと吹きぬける、
細くつめたく澄んだ風。
いつかその風を産み、
わたしたちは、
こころの底からにっこりとしたい。
そして、
産むちからを冒涜されたかなしみから、
いっそう高次の母性をみちびきたい。
どうか、その道が守られますように。
どうか、その意志があらゆる恨(ハン)を砕きますように。
って書くとちょっとかわいい。
虎馬。虎っぽい馬。
虎柄の馬。
まあ、そんなことはどうでもいいんだけれど。
○PTSD。解離性障害。
と、その周辺のいろいろについて、
友人とはなし合いをしました。
この障害のしめす症状については、
わたしは数年前に『たましずめのうた』のなかに
少しだけ書いたのですが、
やはり今でも時おり、どうしようもなくなることがあります。
きほん的には、ひたかくしに隠しているので、
ごく近く接してくださっている方々をのぞいては、
めったに人にしられることはありません。
が、この「ひたかくしに隠している」という状態が、
そういいことばかりでもないなぁということを、
この頃すこしずつ思うようになり、
もう何年も真摯にかかえてきたものだし、
じぶんなりに勉強もかさねてきたのだから、
ちっぽけに閉じずに、そっとひらいてみよう、
こわごわ皆に、渡してみよう、
という心持ちになってきました。
ここに書くにはむずかしい内容もおおいので、
本、というかたちで実をむすんでゆけたらと、
友人と手をとり作業をはじめたところです。
ヒガイシャ――。
そう、
わたしたちは、
この焦土から、
清い風をおこしたい。
抑圧の傷をとき、
とほうもない慈悲へと吹きぬける、
細くつめたく澄んだ風。
いつかその風を産み、
わたしたちは、
こころの底からにっこりとしたい。
そして、
産むちからを冒涜されたかなしみから、
いっそう高次の母性をみちびきたい。
どうか、その道が守られますように。
どうか、その意志があらゆる恨(ハン)を砕きますように。
○かなしみは尽きないが、
このせかいには蛍のひかりがある。
蛍のひかりによりそわれて、
ようやくおちるなみだがある。
ようやくこぼれる愛がある。
○夜の川辺にうずくまるわたしに、
一匹の蛍がとまってくれた。
それだけで十分。
それだけで、十分。
生きてくのに十分な、こころづよさよ。
蛍に、恋を、してしまったかな。
○小さな鶴が、
20cmほどの丹頂鶴が、ゆめに出てきた。
ぱたぱたぱたと飛んできて、
目のまえに舞い降りてきた。
かわいいっと声にだしてよろこぶ間もなく、
いっしょに居た友人がふざけてえいっと小鶴さんをつかんじゃった。
ちょっとなにすんのよって、
怒りかけたんだけど、小鶴さんはなんのその。
友人の手をするりとぬけて、
ぱたぱたぱた。
羽をひろげてゆっくりたかく昇っていく。
たかく、たかく。
ふるえるような、繊細なはばたき。
きらきらと、高音。
それにしたがって、両のはねが、
まるで藤の花弁のようにだんだんと長く下がってくる。
その美しいことったら!
うわぁとながめるうちに、
小鶴さんは降りてきた夕闇のなかへ、
どんどんと小さくなりながら、とけていく。
もう影はみえない。
でも羽の一片一片が蛍のように光り、
それだけが闇にうかびあがって見える。
きれい、きれい!
ついに、それさえ見えなくなって、
あぁなんてものを、わたしは見ちゃったんだろうかって、
そう思ったとき、
「あ!」
と、わかった。
そうだ、あれは、亡くなった親友だったんだ。
そうだよ彼女のたましいだった。
それであんなに美しかった。
それであんなに繊月のようだった。
彼女に会えたことが、
目ざめてからもとてもうれしくて、
わたしはやっぱり彼女のことが大すきだとおもった。
○ゆめの中でわたしはオオカミになった。
それで森のほそい一本道を、
なんどもなんども雑巾がけしたんだ。
オオカミだと雑巾がけはとてもはかどる。
ってことがわかった。
毛はなかなかに剛くて、
走るとその一ぽん一ぽんが、
針のようになびいた。
われながら、かっこよかった。
○蛍よ、蛍。
汝らはそのみじかい命のうちに、
幾千の人をなぐさめ、
幾万のたましいを鎮めるのか。
蛍よ、蛍。
汝らはわらうかもしれぬが、
わたしはそなた達の亡骸を、
やはりなぐさめ鎮め、だいじにしたい。
来年もまた、ここで会おうぞ。
来年もまた、ここに会おうぞ。
このせかいには蛍のひかりがある。
蛍のひかりによりそわれて、
ようやくおちるなみだがある。
ようやくこぼれる愛がある。
○夜の川辺にうずくまるわたしに、
一匹の蛍がとまってくれた。
それだけで十分。
それだけで、十分。
生きてくのに十分な、こころづよさよ。
蛍に、恋を、してしまったかな。
○小さな鶴が、
20cmほどの丹頂鶴が、ゆめに出てきた。
ぱたぱたぱたと飛んできて、
目のまえに舞い降りてきた。
かわいいっと声にだしてよろこぶ間もなく、
いっしょに居た友人がふざけてえいっと小鶴さんをつかんじゃった。
ちょっとなにすんのよって、
怒りかけたんだけど、小鶴さんはなんのその。
友人の手をするりとぬけて、
ぱたぱたぱた。
羽をひろげてゆっくりたかく昇っていく。
たかく、たかく。
ふるえるような、繊細なはばたき。
きらきらと、高音。
それにしたがって、両のはねが、
まるで藤の花弁のようにだんだんと長く下がってくる。
その美しいことったら!
うわぁとながめるうちに、
小鶴さんは降りてきた夕闇のなかへ、
どんどんと小さくなりながら、とけていく。
もう影はみえない。
でも羽の一片一片が蛍のように光り、
それだけが闇にうかびあがって見える。
きれい、きれい!
ついに、それさえ見えなくなって、
あぁなんてものを、わたしは見ちゃったんだろうかって、
そう思ったとき、
「あ!」
と、わかった。
そうだ、あれは、亡くなった親友だったんだ。
そうだよ彼女のたましいだった。
それであんなに美しかった。
それであんなに繊月のようだった。
彼女に会えたことが、
目ざめてからもとてもうれしくて、
わたしはやっぱり彼女のことが大すきだとおもった。
○ゆめの中でわたしはオオカミになった。
それで森のほそい一本道を、
なんどもなんども雑巾がけしたんだ。
オオカミだと雑巾がけはとてもはかどる。
ってことがわかった。
毛はなかなかに剛くて、
走るとその一ぽん一ぽんが、
針のようになびいた。
われながら、かっこよかった。
○蛍よ、蛍。
汝らはそのみじかい命のうちに、
幾千の人をなぐさめ、
幾万のたましいを鎮めるのか。
蛍よ、蛍。
汝らはわらうかもしれぬが、
わたしはそなた達の亡骸を、
やはりなぐさめ鎮め、だいじにしたい。
来年もまた、ここで会おうぞ。
来年もまた、ここに会おうぞ。
○いま、こころみているのは、
忘却のかなたへのアプローチ。
忘れなければ生きていられなかったこと。
しかし忘却のかなたへ堆積されてゆくことで、
その実いのちの基層をきずいていたできごとについて。
対立でもなく、いどむというのでもない態度をもって、
いま、あらためて、みつめてみたい。
そのために、からだを空けよう。
このからだを、開放しよう。
わたしの現在を、過去にあげよう。
現在というこの時のうちに、
くらい地下道をながれ、くぐってきたあの過去のできごとが、
しずかによみがえりを果たしますように。
それが、ほんとうの歩むべき道を、
ひらいてくれることを願って。
○そんな作業を、友人とはじめました。
ある種の記憶、
それを切り捨てること隠すことで、
すずしく生きてきた。
大きな裁ちばさみをふりかざして、
押しよせる記憶の波を、ばちんばちん。
裁ちつづけていて、
気がついたら、
記憶とつながることができなくなっていた。
ふさいだのだ、じぶんで。
そこへつづく通路を。
それはけっしてネガティブなことではなかった。
もちろんポジティブなことでもなかった。
ようするに、そうした短絡的なものさしとは、
まったく次元を異にしていて。
生き延びるためにその方法をとりながら、
それなりにきまじめに日々を重ねてきた、
という、ただそれだけのこと。
いいもわるいもない。
いっさいの評価は当たらない。
そう、ただ、
先日わたしの前に、古い友人が現われて、
そうした態度をかえ、
もっと全的にいきようとする、その可能性を示してくれた。
だから、
とことんつき合うことにしたのだ。
○「抑圧された女たちが集まって
恨を解きほぐす一つの儀式をあげること、
クッという儀式、朝鮮での巫祭を指すクッという儀式を通して
死者の魂やいま生きている自分の記憶を癒す、
それは恨を解く儀式につながるが、
この自分の記憶はぎりぎりのところで生につながっている忘却であり、
その生と死の境界域で癒しの巫祭(クッ)が行われることになるだろう。
一つのシャーマンの空間。
それは忘却からの再生であり、
怨恨を晴らすのとは違う、
自らの恨みを解き恨を超えた共生への道程である。
シンボル化されたハルモニから、
さらに抑圧された側からの抱擁、
大きく包み抱いてともに生きる道への祈り。
(中略)
ハルモニたちのぎりぎりに死に近い忘却は
幽冥の夜明けでのクッ―恨のときほぐし―とともに
蘇えり、化石化状態の記憶は現生の生へ蘇える。」
なにか、そうしたこと。
そうしたことがおこることを、
希いつつ、希いつつ、
私たちは「忘却」へのアプローチを、
はじめてみたのです。
「抑圧された側からの抱擁」。
自らの「恨」をときほぐし、
「ともに生きる道への祈り」へとたかめる。
そんなアクロバティックないのちの転換。
そのプロセスは理屈ではもう分かってる。
けれどからだは置いてかれてる。
感情も凍結したままだ。
だからこれから、
存在のまるごとをかけて、
そのプロセスをさがしてみたい。
そのプロセスを生きてみたい。
そんな風に、ちょっとだけまじめに、
かんがえたりしている。
忘却のかなたへのアプローチ。
忘れなければ生きていられなかったこと。
しかし忘却のかなたへ堆積されてゆくことで、
その実いのちの基層をきずいていたできごとについて。
対立でもなく、いどむというのでもない態度をもって、
いま、あらためて、みつめてみたい。
そのために、からだを空けよう。
このからだを、開放しよう。
わたしの現在を、過去にあげよう。
現在というこの時のうちに、
くらい地下道をながれ、くぐってきたあの過去のできごとが、
しずかによみがえりを果たしますように。
それが、ほんとうの歩むべき道を、
ひらいてくれることを願って。
○そんな作業を、友人とはじめました。
ある種の記憶、
それを切り捨てること隠すことで、
すずしく生きてきた。
大きな裁ちばさみをふりかざして、
押しよせる記憶の波を、ばちんばちん。
裁ちつづけていて、
気がついたら、
記憶とつながることができなくなっていた。
ふさいだのだ、じぶんで。
そこへつづく通路を。
それはけっしてネガティブなことではなかった。
もちろんポジティブなことでもなかった。
ようするに、そうした短絡的なものさしとは、
まったく次元を異にしていて。
生き延びるためにその方法をとりながら、
それなりにきまじめに日々を重ねてきた、
という、ただそれだけのこと。
いいもわるいもない。
いっさいの評価は当たらない。
そう、ただ、
先日わたしの前に、古い友人が現われて、
そうした態度をかえ、
もっと全的にいきようとする、その可能性を示してくれた。
だから、
とことんつき合うことにしたのだ。
○「抑圧された女たちが集まって
恨を解きほぐす一つの儀式をあげること、
クッという儀式、朝鮮での巫祭を指すクッという儀式を通して
死者の魂やいま生きている自分の記憶を癒す、
それは恨を解く儀式につながるが、
この自分の記憶はぎりぎりのところで生につながっている忘却であり、
その生と死の境界域で癒しの巫祭(クッ)が行われることになるだろう。
一つのシャーマンの空間。
それは忘却からの再生であり、
怨恨を晴らすのとは違う、
自らの恨みを解き恨を超えた共生への道程である。
シンボル化されたハルモニから、
さらに抑圧された側からの抱擁、
大きく包み抱いてともに生きる道への祈り。
(中略)
ハルモニたちのぎりぎりに死に近い忘却は
幽冥の夜明けでのクッ―恨のときほぐし―とともに
蘇えり、化石化状態の記憶は現生の生へ蘇える。」
なにか、そうしたこと。
そうしたことがおこることを、
希いつつ、希いつつ、
私たちは「忘却」へのアプローチを、
はじめてみたのです。
「抑圧された側からの抱擁」。
自らの「恨」をときほぐし、
「ともに生きる道への祈り」へとたかめる。
そんなアクロバティックないのちの転換。
そのプロセスは理屈ではもう分かってる。
けれどからだは置いてかれてる。
感情も凍結したままだ。
だからこれから、
存在のまるごとをかけて、
そのプロセスをさがしてみたい。
そのプロセスを生きてみたい。
そんな風に、ちょっとだけまじめに、
かんがえたりしている。