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秦きょうこ
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非公開
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語り部。作家。
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。

いろいろのお問い合わせは、こちらまで。
上映会のご希望なども、お気軽にどうぞ。

musubino.huyuru@gmail.com
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ほんじつ19時より、旦過市場内の大學堂にて、
「ミツバチの羽音と地球の回転」の試写会がございます。

ふゆる座は、予定のとおり、蒸しぱん小店をひらくことができそうです。
17時すぎより、はじめたいと思っております。

○南瓜と小豆の蒸しぱん
○八つ橋蒸しぱん

ほんとうに少しばかりですが、おいでいただけますとうれしいです。

さて。
せんじつ、ふゆる菓子店の売り上げの一部をお送りしますとお話しした、
「ヒロシマ・ジュノーの会」。

こちらの会のこと、ひとつも説明しないままでごめんなさい。
以下に、会のHPより転載させていただきます。

*********************************

□ヒロシマ・ジュノーの会とは

「ジュノーの会」は、世界のヒバクシャ支援とくにチェルノブイリ原発事故の被曝者支援に取り組む広島県府中市の市民団体です。会の名前は、被爆後の広島に医薬品15トンを届け、被爆者の治療にあたったスイス人医師、マルセル・ジュノー博士(1904~61年)にちなんでいます。博士の精神を受け継ぎ、86年のチェルノブイリ原発事故の被曝者支援のため88年に発足しました。会員数は全国に約500人。これまでに延べ約200人の医師を現地に派遣し、甲状腺がんなど1000人以上の患者を診療、一人ひとりの患者さんにカルテ報告を行い、同時に小児白血病治療、血液感染症予防などの医療協力活動、またヒロシマとチェルノブイリのヒバクシャ交流を進めるなど、被災者の側に立った援助活動を続けています。チェルノブイリ被災者市民団体との強い協力関係もあります。

ジュノーの会の郵便振替の口座番号は以下のとおりです。
郵便振替=「01370-0-29460・ジュノー基金」
口座名義は「ジュノー基金」です。ジュノーの会ではなく、「ジュノー基金」です。
通信欄か空白に、「梅ドみ」と明記してください。

他銀行やネットから振込んでいただくときは、以下の振込先にお願いします。
   <他銀行から振込む場合の振込先>
   銀行名ゆうちょ銀行
   ■金融機関コード9900
   ■店番139
   ■預金種目当座
   ■店名一三九 店(イチサンキユウ店)
   ■口座番号0029460



□「梅ドみ」運動とは

 原爆投下の残虐さは他に例えようもありません。広島では、一瞬にして万を越える人びとが文字通り消え失せ、あるいは木の葉のように焼かれ、かろうじて生き残った人びとの中でも、数万人の人びとが、あるいは焼けただれた皮膚を垂らして幽霊のように歩きながら、あるいは倒壊した家屋の下敷きになって、あるいは水を求めて川べりにたどりついて、やがて息絶えていきました。そして、被爆の惨状の中でなんとか命を取り留めたかに見えた人びと、無傷で元気に救助作業を行っていた人たちが、被爆後2週間くらいした頃から高熱を発し、髪の毛が抜け、大量の血を吐くなどしながら亡くなっていきました。ピカに遭った者は全員が酷い死を迎えることになるのだ、という恐怖の現実。原発事故の場合、のちの晩発性障害の過酷さは存在しますが、原爆被爆の残虐さに匹敵する恐怖を体験する人は、ほんとうに僅かの、限られた人数の人たちだけだと言えます。
 少しでいいですから、1945年8月6日から約1ヵ月間の間に広島の地で起こった出来事のことを、知ろうとしてみてください。見渡す限りの廃墟。焼野が原。屍の山。無残な状態の生存者。昨日まで元気だった人があっという間に立ち上がれなくなり、死んでいく。
 そんな状況の中で、ある人はドクダミを飲み、またある人はハブソウを飲み、あるいはハトムギを飲み、柿の葉を飲み、あるいはカワラヨモギを食べ、あるいはたくさんのニンジンを食べ、あるいは味噌汁を飲み、あるいは味噌漬けを食べ、あるいはごま塩をまぶした玄米おにぎりを食べたり、あるいは梅干しを食べ続けたりしました。お灸もさかんに行われました。大量のお酒を飲んだ人もいましたし、大量の水を飲んだ人もいました。原爆症を乗り越えて生きた人の中には、このような、自分を救う療法を自ら行った人もいたのです。
  *   *   *   *   *   *
 私は、「避難」と「無料定期検診・治療制度」の話で暗く暗くなってしまった会場で、「梅ドみ運動」について話し始めた。
 「梅ドみ」と簡単に言うが、ちょっと考えてもらえればわかることだ。焼野が原の広島で、瀕死の被爆者が、わけもなく、そのあたりに生えている雑草を食べただろうか。そんなことはあり得ない。ドクダミを飲んだ人は、ドクダミを飲もうとして飲んだか、あるいはドクダミを飲ませようとする人によって飲ませてもらったのだ。ハブソウもそう。味噌もそう。カコソウもハトムギもカワラヨモギも、みんなそうなのだ。みんな、それらを飲もうとして、あるいは食べようとして、意識的にそれらを摂ったのだ。これらの行動は自覚的な救命行動だったのだ。
 なぜ人びとはそんなことをしたのか。
 答えは明白だ。
 被爆時に梅干し、ドクダミ、味噌、ごま塩、ニンジン、ハブソウ……などを摂った人びとは、これらの食品や薬草には「解毒」の力があるということを知っていたのである。
 彼ら・彼女らは、原爆のすさまじい破壊力とその後の惨状を体験する中で、すぐに「毒」を体外に排出しなければ死んでしまうと直感し、毒を体外へ排出するための方法を懸命に試みたのだ。
 では、なぜ、これらの広島の民衆は「解毒」の方法を知っていたのか。
 
 広島は、18世紀に、吉益東洞という医師を生んだ街だ。吉益東洞は「万病一毒説」をもって一世を風靡した、当時の日本を代表する医家である。彼は、病の原因となる毒を排毒することによって病は治ると主張し、患者の症状を吟味することによって、それぞれにふさわしい解毒の処方を行い、多くの命を救った。
 広島には、この吉益東洞の影響から、解毒の医術が浸透していたのである。それらは、代々の医家を通して、患者に伝えられ、さまざまな民間療法として人口に膾炙していたと思われる。体内に入り込んだ毒を解毒するには、ある場合はドクダミがよいし、またある場合はカコソウがよいし、別の場合はタニシがよい、といった具合である。民衆に対する医家による医学教育は、今日にくらべて、はるかに広く豊かに行われていたようだ。
 この18世紀の吉益東洞以来の解毒の医術が、長い年月の間に広島の民衆の間に定着し、被爆時に多くの被爆者の命を救ったのである。これらの広島の人びとは、原爆後の悲惨極まる状況下で、ピカを「毒」だと直感し、必死で、自分たちの知る限りの解毒の方法を試みたのだ。

 また、被爆直後の広島で人びとが自他に対して解毒の方法を試みようとしたのは、広島が日本における赤十字運動の拠点都市であったことにも深く関係している。
 佐野常民の生涯の悲願であった「敵・味方を問わず戦場で傷ついた傷病兵の命を救う赤十字活動」は、日清戦争の戦場で初めて実現する。日本赤十字の救護班は、銃弾の止む僅かの間に、敵・味方を問わず、戦場に斃れている人びとを収容し、治療し、多くの傷病兵の命を救ったのである。少なくとも日露戦争期のある段階までは、日本赤十字の人命尊重の活躍は、諸外国から、諸外国の人道支援団体からも、大きな賞賛と尊敬を得、文明国・日本の価値を大いに高めたのであった。
 この黎明期の日本赤十字の清新な活動は、広島で組織され実行に移された。この赤十字活動を中心的に担ったのは、安芸(広島県西部)・備後(広島県東部)の若者たちであった。少なくとも1890年代には、広島県一円で、赤十字の実施訓練が行われていたようである。
 原爆投下後の惨状の中でも、人びとの間で、互いに助け合い互いに解毒の方法を教え合うという行動が見られたのは、このような数十年来の赤十字活動の成果でもあっただろう。
 広島は、大日本帝国によって軍事都市に変貌させられようとする以前は、民衆の間に伝統医学・民間療法の知識が広く浸透した、赤十字活動の拠点都市だったのである。

 こうした広島民衆の在り方が、原爆被爆の緊急事態下に、人びとを「解毒」に導き、多くの命を救ったのだった。頭上で太陽2個分の爆弾が炸裂し、地上に地獄が現出したとき、吉益東洞以来の広島の民衆の歴史が、人びとを「毒を出す」行動へと導き、さらに赤十字活動の歴史が相互治療・相互介護的行動をも生み出すことになった。
 
 そして、こうした、原爆時に多くの人びとの命を救った「解毒」の方法のエッセンスを、ジュノーの会では「梅ドみ」と呼んで、フクシマの人びとに早急に届けようとしてきたのである。
 症状が出ない間はこうした解毒の方法はかなり有効だ、と言われている。しかし、このことは言い換えれば、症状が出てからでは手遅れだ、ということでもある。私は取るものも取りあえず、一刻も早く、これら「解毒」の方法をフクシマの人びとに伝えようとした。遅れれば、それだけ命に危険が迫るのだ。

 ともかく、このような広島の江戸時代以来の民衆の歴史に基づく「解毒」の方法が「梅ドみ」なのだ、ということを私は話そうとした。わかってもらえるように話せたかどうか、自信がない。
 大日本帝国軍隊による軍事都市化にもかかわらず、広島民衆の間に脈々と流れ続けた人道支援都市の伝統が、原爆被爆後の惨憺たる日々にあって、一切の医療施設・医療器具・医療スタッフが消失または欠乏していた状況下で、多くの人びとを自覚的な解毒行動へと導き、多くの人びとの命を救ったのだ。「梅ドみ」は、この「民衆の英知」のエッセンスなのだ。みなさん、「梅ドみ」を積極的に試してみてください。実際、被爆・被曝時に有効な対処法は他にはないのです。――私は、そんなことを一生懸命に語ろうとしたのだった。



*********************************

「塵も積もれば山となる。」

むかし砂場で、
山つくってあそんだでしょう。

これもまた、然り。
あそびだよ。

みなで、こつこつと、積んでこう。








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むすびの文庫、および大學堂にて時おりひらく「ふゆる菓子店」。

これまで「東方へ捧ぐバザール」として、
みなさまにお買い上げいただいた金額より、
材料費と光熱費の概算分と
「ふゆる座」上映会で出してしまった赤字分をさしひいたものを、
義捐金として東へおくって参りました。

先日こちらでご報告しました11月4日(金)の「続・原子力茶屋」では、
お蔭さまで¥2750の売り上げがありました。
材料費等まだ概算を出しておりませんが、
みなさんにいただいたお金、こんどもお送りいたします。

どこへお願いするのか、すこし迷って、
「広島ジュノーの会」に決めました。
「梅ドみ」が、放射能から人びとの心身を守ってくれますように。

「ふゆる菓子店」。

できるだけ安心して戴くことのできる植物をつかって、
おだやかに大事につくって参ります。

まだずっと下手くそで、
ううむと唸ってしまわれることもあるかと思いますが。

みなさんに喜んでいただきながら、
また自身も大いにたのしみながら、
この国の一大事に微力をそえてゆく為の、
私のたいせつな手段であります。

どうぞ今後とも、あたたかく見守ってくださいますよう、
おねがい申しあげます。

秦きょうこ拝





みなさま、お早うございます。

本日の「ふゆる菓子店in大學堂」、
12:30ころ~
ちいさくひらきます。

お八つは、
・胡桃まんじゅう(¥80)
・甘栗まんじゅう(¥100)
のふたつ。

ほんのすこしで恐縮ですが、
ご都合つく方いらっしゃいましたら、
ぜひ遊びにいらしてください。

一日店長も、
いつか独り立ちできるようにがんばりたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

ふゆる菓子店+大學堂一日店長(見習い)
秦きょうこ
みなさま。

赤い夕焼け。黒い森影。
このごろ日暮れもはやくなりました。
みなさま、いかがおすごしですか。

きょうはお詫びがございます。
一昨日こちらでご案内いたしました、
中沢新一さんの集中講義「原発と仏教」の報告会ですが、
わたしの方がすこし体調をくずしてしまいまして、
延期をさせていただくことにいたしました。

朝晩のさむさと、
日中の暑さと、
教室の冷房のさむさと、
のあいだをぐるぐるして、
風邪をひいてしまったようです。
たいへんもうしわけありません。

「原発と仏教」。
とてもとてもたいせつなお話で、
はやくみなさまにお伝えしたいのですが。
すこし休んで、ととのえたいと思います。

日時がきまりましたら、すぐにまたこちらでご案内させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

ただ、18日と19日、
文庫はのんびりひらいています。

・夏野菜と豆のカレー×進農園の新玄米ごはん
・蒸しパンなどのお八つ

用意しておりますので、
みなさまほぅとくつろぎに、おいでくださいませ。
にこにこお話しましょう。

おいでの方、こちら↓まで、ご連絡くださいね。

musubino.huyuru@gmail.com

あさって17日の「ふゆる菓子店in大學堂」は、
からだと相談しながら、ちいさく実行したいとおもいます。

またたくさんの方と、ご縁の糸をつむいでゆけたらいいなぁと思います。
出会いは、いつも、ほんとにうれしい。

みなさまも、くれぐれもお身体きをつけて。


ふゆる座○。秦きょうこ
みなさま。こんにちは。

「むすびの文庫」。
「ふゆる座」とふたごの小さな空間です。
こちらのペィジでお知らさせていただくことにしました。

初耳の方もいらっしゃるかもしれませんので、すこしだけご紹介を。
パンフレットの文章から。

*******************************************************
むすびの文庫は、月に幾どかひらくみなのお家です。

はるか古より伝う、こころ、ちえ。
それを思い、も一ど結んでゆくこと。
その結ぼれのうちに、ほぅとすること。
そんな時を、みなと作ってゆきたいとおもいます。

文庫にあるものは、こんなふうです。
 古いおもちゃ ちいさな鉄琴 親ゆびピアノ
 絵本 折り紙 泥えのぐ ふかい思索の書物

め、みみ、手ゆび、声ことば、
たくさんつかって、あそびましょう。

焙じ茶とお八つ、玄米ごはんと野菜もしたくしています。
ゆっくりたべて、ゆっくりわらいましょう。

ここに帰り、ここに休むときをひて、
みなふくふくと、ふくらみ又若やいでゆきますように。

むすびの文庫 家あるじ 秦きょうこ
**********************************************************

さく年の春にひらいて、
「玄米ムスビの会」やら「ふゆる茶話会」を中心に、
ぽつりぽつりと動いています。

玄米のごはん、
季節のやさいやいろいろの豆をつかったお惣菜、
おだやかな甘みのお八つ、
三年番茶(焙じ茶)、

その時どきのおいしいものが並んだちゃぶ台をみなで囲んで、
おしゃべりしながらゆっくりすごしています。


さて!そして。
こん週末の茶話会のご案内です。

9月18日(日)、19日(月)の両日。
open 12:00ころ~
close ~19:00ころ。

ごはんは、
夏野菜と豆のカレー×進農園さんの無農薬「新」玄米ごはんと、おからのサラダ(¥500)
です。

お八つは、
蒸しパン(¥120~)をいくつか作ります。

みなさん、好きなときにお越しください。
ごはんでも、お八つでも、ゆっくりたのしんでいただけたらと思います。

そしてこの日、15:00ころ~ 
先日ひらかれた、中沢新一さんの集中講義「原発と仏教」の報告会をもちます。

もちろん、わたしに十分な報告ができるはずもないのですが。
非常に貴重なお話。すこしだけでもお伝えできたらとおもいます。
(つたない報告まことに恐縮ですが、資料代¥300のカンパをおねがい申しあげます。)

「原発と一神教と資本主義の同型性」、
「一神教と仏教における超越性領域の取り扱い方のちがい」、
「親鸞の悪人正機説があたえる未来への鍵」、

などなど、ご興味のある方はぜひ、ご参加くださいませ。

あいかわらずせまい文庫ですので、お席の方が十分ではございません。
おいでいただける方は、前日までにこちら↓までご連絡いただけますでしょうか。

musubino.huyuru@gmail.com

またご不明な点など、お気軽にお問い合わせくださいませ。

久かたぶりに、文庫でみなさまにお会いできますこと、
こころより楽しみにいたしております。

どうぞよろしくおねがいいたします。

ふゆる座○。秦きょうこ




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