忍者ブログ
# カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
# フリーエリア
# 最新CM
[05/02 tekuteku2011(yamada)]
[08/26 安西博之]
[06/12 ユリ]
[03/05 秦きょうこ]
[03/01 工房 日々く]
# 最新記事
# 最新TB
# プロフィール
HN:
秦きょうこ
性別:
非公開
自己紹介:
語り部。作家。
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。

いろいろのお問い合わせは、こちらまで。
上映会のご希望なども、お気軽にどうぞ。

musubino.huyuru@gmail.com
# バーコード
# ブログ内検索
# P R
# カウンター
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

○ことばを発することにつかれたとき、
もう一音だって声を上げることができないとき、
それでも樹々はざわめいてくれるし、
小鳥はさえずってくれる。

わたしの胸の堂におこる震えは、
そんな風にして世界の者に託されて、放たれている。
どんなに弱り果てていても、
それだからわたしの表現は止まない。

世界にすっかり内包されているわたしの命は、
みなの命の律動さえ表れていれば、
もう二度とこの口を動かすことができなくても、
満足なのである。


○いまは虫。あの高い鈴の音。
わたしが秋の夜に出したいことばは、
彼らが十二分に奏でてくれている。


○どんなに小さな羽虫でも、
つぶすと心が冷える。
はっきりと冷えて固くなる。

気がつきたくないけれど、
同時に目をそらしたくない。
目をそらしたくないけれど、
同時に気がつきたくない。

矛盾してる。矛盾してるんだ。
なんてことだろう。
わたしずっとそうして来たんだよ。


○じぶんの体が無機質に感じられて、
やりきれない気持ちになることがある。

情の通わない無意味な肉塊。
きみがわるくて仕方がないし、
つらさが突き上げてきてこわばってしまう。

でもそれも明るい兆し。
それを「つらさ」として感じられるようになったもの。
離人感とは長いつきあいになるけれど、
この一年ほどは「つらさ」が突破してくる。
「つらさ」が全力で手をのばして、
離れてしまった私をつかまえにくる。

だからつかまっていいんだよね。
「つらさ」に貫かれて倒れちゃっていい。

それで涙なんて出たらしめたものだ。


○このごろ夜ごとに
シェーンベルグの「浄夜」を聴いている。

大きな音で聴きながら、
私も夜になるんだ。「浄夜」になる。

意識がとけて、夢がつつむ。


PR
○お会いするより早く、
その方はここを読んで下さっていた。

それは私のあこがれの方で、
いつかいつかお会いしたいと願っていて、
先日ようやく、それが叶ったのだけれど。

お会いするより早く、
その方はここを見つけて下さっていた。

俄には信じられなくて、
真剣にほっぺたをつねったのだけれど。

痛かった。ちゃんと。

ほぅと長い安堵の息をついた。
つくづくと有難いとおもった。

同時にぎゃあと顔から火も出ていて、
まだ顔をあげられずにいるのだけれど。

やっぱりうれしい。
すなおに単純に、
これはうれしいことだなぁ。

だって、その方とは、
若松英輔さんなのである。


○そのことがあって、
この頃の「書くこと」を反省した。

節操無しにぽいぽいと、
書いているのが恥ずかしくなった。

それで、赤面しながらここに戻ってきた。
でもまだ「書くこと」は戻らない。

「書くこと」を回復したいと願うなら、
鎮まること沈むことを大事にしなければならない。

ある次元にはさようならをしよう。
そしてある次元に居住地をかえよう。


○「書くこと」の回復のためには、
「読むこと」を大事にしなければならない。

わたしはまだそれができていない。
特に研究の領域のそれについては。

たった一人の言葉でいいから。
わたしは「読むこと」を叶えなければならない。

活字のむこうを「読むこと」。
活字のむこうを思い遣ること。

上ずるじぶんを引きずり下ろして。
それを叶えなければならない。


○目を閉じて読もう。目を閉じて書こう。


○活字を声にしよう。声を活字にしよう。






○みなさん、お久しぶりです。
「Faceboook」の読み書きをはじめてから、
ずいぶん長くこちらを留守にしてしまいました。

留守中たずねてくださった方々、
ひらく度がっかりさせてしまってごめんなさい。

またちびちびと、
日々の雑感やもろもろのご報告を、
こちらに書いてまいりたいと思います。


○わたしは生まれも育ちも北九州で、
今も北九州に住んでおりますことから、
震災がれき(という呼び習わしへの違和感とともに)、
その受け入れ焼却をめぐる問題について、
(もちろんそればかりではなくて、
それに類し、また関連するいくつものことについて)
日々うんうんとうなされて参りました。

試験焼却の強行された一時期には、
わたしも足しげく市役所や向上に通い、
ことの真相をたしかめたいと動いておりました。
けれど、あっという間。
たくさんのしがらみに絡めとられて、
そうした行動さえ、諦めなければならなくなりました。

多くの人が、
いのちとしての実感、倫理観とはうらはらに、
声をださず行いもせず、
じっと我が身ひとつの内にかかえこんで、
しかし事の成りゆくままに任せるという態度をとっていること。

それはこうした事情によるものなのかと、
じぶんがその事情に捕まってはじめて、
痛切な経験として理解できたように思います。





みなさま、こんにちは。

ふゆる座の秦きょうこです。

このたび、ブログをひらくことにいたしました。

イベントのことなど、こちらにご案内させていただこうとおもいます。

どうぞよろしくおねがい申しあげます。


秦きょうこ拝
忍者ブログ [PR]