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秦きょうこ
性別:
非公開
自己紹介:
語り部。作家。
「むすびの文庫」と「ふゆる座」を主催しています。

いろいろのお問い合わせは、こちらまで。
上映会のご希望なども、お気軽にどうぞ。

musubino.huyuru@gmail.com
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○わー、おひさしぶりです。
みなさん、みなさん。
会いたかったー。

長いこと土のなかでもごもごしていたもぐらが、
ふと天井のむこうに光をかんじて、
おそれながら、けれども惹かれてならず、
頭のうえの土をひっかいてみた。という感じ。

まぶしい。光だ。
目がくらんだまま、書きます。


○まずは、ご報告。
勤めを辞めました。

新年度がはじまったばかりで、
職場の方々には多大なるご迷惑をおかけしてしまい、
本当に申しわけのないことでした。

けれど、辞めてよかった。
限界だったのだ。
と、日がたつにつれてふかく納得していきました。

心身のぷかぷか浮きしずみは相変わらずですが、
それでももう、ずいぶん元気です。
ご心配をおかけしたみなさま、
お蔭さまでございます。
ありがとうございました。


○…というわけで、
しばらくは、ふらふら風来坊です。
わーい。

あわただしい毎日で、
ご縁をいただいていながら
ちっとも丁寧にお話することができずにいた方々に、
これからゆっくり会いにまいりたいと思います。

みなさん、お茶をしましょう。
ひとつ処に、会しましょう。

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○郷土玩具、とよばれている物たち。
私はかれらが好きでたまらない。

文庫はかれらの気配に満ちているから、
はじめてくる人たちは、すこしぞわぞわするかもしれない。
窓辺にも本棚にも机にも洗面所にもトイレにも、
かれらが潜んでいるのだ。
ひとつひとつみつめ、手にとり、
興がる人もいる。
ちょっとコワいねと気味悪がられる方もある。
愉快だと笑ってくださる方もある。
反応は人それぞれ。
けれど、かれらは空気を変えない。
かれらはじっと、ある種の空気をつくり、保っている。

わたしは、かれらに囲まれ、みつめられ、聞き耳をたてられ、
そのなかで人とゆっくりお話するのが好きだ。
日が落ちてからは、できるだけ小さな灯で。
ときには幾つかのろうそくだけで。
音楽もいらない。
ただ、かれらの気配。
時のながれから落っこったような、しずもり。
そこにぺたんと座り、
対手のことばをきく。
かれらと一体になって、じぃっと。

かれらが作りだす空気は、
人の言葉のほんとのいのちを響かせる。
だから、ここで言葉をやりとりするのは、
とっても心地がいい。
対手に媚びず、じぶんに執着せず、いられる。
ふしぎだ。

かれらは文庫の先住民だ。
なんて知人達にいって笑われる。
もちろん私が連れてきたのだけれど、ね、
うなずけるでしょう、
ごらんよ、かれらの佇まい。
もうずっとずっと先からの住人なんだよ、
わたしたちが生まれるずっとまえから、
ここに、この世に住んでたんだ。
かれらの方があきらかに長い。
いのちを、祈りを知ってる。

そうだ、祈りだ。

かねてから、「郷土玩具」って名に違和感があった。
もちろん、郷土のおもちゃに違いないんだから
それでいいのだろうけれど。
なにかかれらの存在の大事なとこを、
その名は落としちゃってるだろうって思い。

かれらの存在、かれらのいのち。
それがどこにあるかってこと。
かれらは、祈りの具象化なんだ。
神々のすがたなんだ。
あるいは、
神人交感の形なんだ。
自然界と人のいのちの営為とが交差する一点に、
かれらは生み出されているんだ。

だから。
現代のいわゆる「おもちゃ」とちがう。
成長にしたがって捨てられてく物とちがう。
かれらは遊ばれる客体じゃないから。
人を超えた主体だから。

いのちを持ち、力を持ち、
わたし達の心のより所となり、
わたし達の暮らしを守る。

わたしが好きで好きでたまらない郷土玩具たちは、
そうした存在なんだ。

文庫はかれらに護られてるの。

でも、その郷土玩具たちが、
日本列島からつぎつぎと姿を消していっているのも本当。

自然界との交わりが消え、
神人の交わりが消え、
祈りが消え、価値が消え、
後継者が消えてゆく。

あぁ、いやだな、それは。
かれらがこの列島上から居なくなっちゃうのは。
人間と、客体としての自然しかなくなっちゃうのは。
とってもいやだよ。

ということで、
わたしは一つでも、継げるものがあればって、
今かんがえている。
数年前からのおぼろな夢だったのだけれど、
ことしは動くぞ。
博士論文のための行動にも、
それはきっとなるはずだから、
一歩二歩とふみだしてみようと思う。

みなさま、お近くの郷土玩具情報がございましたら、
ご一報いただけるとたいへんうれしく思います。
ご協力ください。よろしくお願いいたします。


○実家で療養中。

寝ても寝ても治らない。
食べても食べても治らない。

GWの予定はすべてキャンセルをして、
ひたすら静養しています。


○『画集 赤羽末吉の絵本』を、
母が図書館から借りてきてくれる。

・赤羽末吉
・瀬川康男
・田島征三

この三氏の絵で、わたしは育った。
ほんとに好きだ。
こんな絵描けたらいいなぁって、
みる度おもう。
むりだから、ため息つきながら、
でもいつもいつも、おもう。


○小ねぎを摘む。
雨のなか、ぷちん、ぷちんと、摘んでゆく。
もうじきお終い。
5月も半ばになったら、
球根をひきあげて、秋まで眠るの。

なめくじさんごーろごろ。
雨でつやつや、うれしそう。

紅の大輪の花を三つも咲かせて、
みなをおどろかせてくれた牡丹が、
この雨に散った。

すずらんの白く清楚な花々も、
雨のせいか早く傷んだ。

蕗はぐんぐん伸びている。
しゅうめい菊の葉が栄えてきた。
紫陽花の葉も、緑あざやかにひらいている。
畑のまんなかに、錦蓮花の双葉がでてきた。
タイム、オレガノ、チコリ、サラダバーネットの花が咲く。
レモンバーム、ブラックペパーミント、アップルミントは、
ことしもぐいぐいと領土をひろげていっている。

とまと、ピーマン、なす、きゅうり、
オクラにゴーヤ、モロヘイヤ。
夏野菜の苗が、そろそろ根付いた様子。

ことしはヤーコン、安納芋なんてのも、
植えている。

まとまりがないですが、
すこしだけ、実家の庭中継でした。


○あんまり床についてばかりいても良くないだろう、
ということで、あすはすこし出かけます。

早朝に、岡垣の畑へ。

お目当ては、
竹の子、蕗、木耳。

春は採集にいそがしい。
○みなさま、すみません。
書けない日々でありました。

もすこし頭のなか片づけしてから、
ご報告させていただきますね。
4月、秦きょうこは変態とげている様です。

しかし、ほんとにぶかぶか浮き沈みのはげしい人だな。
ちっとは定まりなさいよと思うけれど、
今はとにかく、破綻してる。
一この人間として、成立してない。

編集せよ。編集せよ。


○豚肉をたべたら、
かれの肉体が、体温が、鳴ごえがよみがえって、
涙がとまらなくなった。
黒く光る目がみえた。
薄桃色のあたたかい皮膚が、白い毛が、ぬれた鼻が、
花蕊のような舌が、皺しわのやわらかい瞼が、
みえた。みえた。みえた。

子豚たちの姿がみえた。
お母さんのおっぱいに一生懸命むかっていく
いくつもの小さな背中があった。
その4倍数の小さな足がとととと地面をけって、
踊る様に駆けてった。
地面もよろこんでいた。
小石がはね、砂が舞って、
空気がジャンプした。
母豚の眼ざしをかんじた。
それがここに満ちている光の正体だとおもった。


わたしが食べた豚は、
どんなふうに生きてたんだろう。
どんな一生だったんだろう。
どんな最期だったんだろう。
亡骸は、どう扱われたんだろう。
骨は、売り物とされなかった部分は、
いまどこにあるんだろう。
これからどうなるんだろう。
かれは、どこへいったんだろう。
かれの魂は。

かれに会いたいよ、
かれに会いたい。
かれの生きたすべてを、
その思いの、表情のすべてを、
わたしは一瞬だって、
この世で見ることができなかったんだ。
それなのにどうして食べてるんだろう。
それなのに、どうして。

なにがこんなに、
私たちを引き裂いてるの。
どうして私たちのいのちは、
こうも隔てられてるの。
心は、どうやったら出会えるの。
たましいのちぎりは、
どうやったら結べるの。

食べるってことは、
最高にエロティックなことじゃなくちゃ嘘だ。
食べれば食べるほど、
かれらのたましいと、
どんどん疎遠になっちゃって。
かれらのいのちが、
どんどん見えなくなっちゃって。
そんなの嘘じゃないか、
そんな「食べる」ってことは。

「食べる」ってことをつうじて、
人はほかのいのちになってくんだ。
種をこえて意識をひろげてくんだ。
他のいのちを思えるようになってくんだ。
わたしは一切の他者だよという、
この宇宙のことわりを実感してくんだ。
それがほんとうなんだ。
それがほんとうの「食べる」なんだ。


と、
内がわからワーワーときこえてくる。
なみだがとまらない、
熱い。

他のいのちを食べる、ということ。
古い古いテーマだな。
でも古びれようのないテーマだよ。
だって、それがいのちの正体だ。
いま生きてるわたしたちのいのちの正体だ。

みつめよう。想おう。


○春の雨にぬれる葱坊主といっしょに過ごしていたら、
もういつ死んでもいいなって心からおもった。
満たされて、もう、天に昇っちゃうかとおもった。
そんくらいきれいだった。
雨をまとう葱坊主。

天然自然の贈与芸術にノックアウトされて、
きょうも作品をつくろうという気になれないでいる。

いけない、お返しをかんがえなくちゃ。
相当するお返しなんてできないけれど、
かんがえて、動かなくちゃ。






○ごろり、ねころがってたら、
熊が来た。
とつぜん、喉もとにその鼻さきがふんふんと来た。
一しゅん、黒い毛並みがはっきりとみえた。
とたんに歓喜がわいて、
その大きな頭を両手で抱えてぶわぶわと撫でた。

熊はさいしょ私をさぐってる様だったけれど、
すぐに安心したみたい。
その大きな手を私のおなかにのせて、
ゆっくりと目をとじた。

熊だ、熊だ。
ようやく来てくれたんだ。
私たちようやく一緒にいれるんだ。

私はうれしくてしかたなくって、
ぽろぽろとなみをこぼした。


○…と書くと「???」と思われるでしょう。

わたしはぼんやりしている時、
こうした白昼夢みたいのをよくみるのです。

夢かうつつか。

目はたいていあけてるから、
眠っちゃいないとは思うのだけれど。

日常の風景のなかに、
とつぜんそうした次元のものが、
ひょいと訪れてくる。

感覚もヴィジョンも、ひじょうに明瞭。
ふしぎだなぁ。

それにしても、うれしかったな、熊。
そう、これくらい近くに居なくちゃ、
わたしの研究は成らないんだ。


○研究。
そう、わたしは4月より、学生となりました。

九州大学大学院統合新領域学府ユーザー感性学博士課程後期在学。

仕事は何らかの形でつづけてゆきますが、
ともかく半分はふたたび学生となったわけです。

自然界と人間界と
それらをつなぐ境界領域と。

を見つめてゆくので、
自然界の王=神である熊がおとずれてくれたことは、
わたしの研究においてほんとに最重要なことです。

かれらの気配をだいじにしよう。
いつも身近に、よせてよう。


○あす、文庫にお客人あり。
根菜と豆の黒五カレーをつくる。

根菜は、ごぼう、れんこん、にんじん、玉ねぎ。
豆は、金時豆とひよこ豆。
ごはんは、玄米。

ほか、ブロッコリーの酢味噌和え。
もやしのごま醤油和え。

南瓜とレーズンの蒸しぱん。
小豆とシナモンの蒸しぱん。

の予定。



○てんてこ舞い。

そうか、この頃のいそがしさは、
このくるくるわーわーとした感じは、
舞いであったか。

よし、てんてこ舞いを、
春風にのって優雅に舞おう。


○和草さんへ、お茶をしに。

あすからしばらく、
舞いのテンポがはやくなるから。
きょうは、福智山にいだかれながら、
からだの調律をするのだ。

甘酒
黒ゴマ葛プリン
苺大福
ふき味噌

をいただく。


どうしてこんなに、おいしいの。
すでに味覚をこえています、
石米さんの和菓子。
全身全霊で、おいしい。

これであすから、
がんばれます。

石米さん、いつもほんとうにありがとう。
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